ただのお礼と雑談で済むのが関の山、と踏んでいた場の空気は一気に盛り上がり、他愛のない話題から神社について、主にそれは僕からはこれまでに周囲から聞いていた話を元とした問いかけで、果子さんからはそれに対する返しかけと言った具合でそれはそう、僕と彼女以外に人気のない境内に言葉を弾ませてしまったものだった。
耳に響く響きの数々を生み出しているのが僕と目の前の果子さんのふたりである、との事実にふと話の途中で気付いた時にはふとした遠慮の気持ちを抱かずにはいられなかったが、こちらが相手の気持ちを探る以前に、そんな事は気にしていないと暗に示さんばかりの口調で果子さんは言葉を発してくる。そうなるともう、流れに乗るだけであった、流れに乗ってさらに盛り上がり―実のところ、テンポよく返すのが楽しくて、詳細は余り覚えていない―僕は表から、家へと向かった時にはとても強い昂揚感に浮いていたもので、春らしい鮮やかな色合いの中を比較的早い歩調で進んでいた。
そんな具合で下っていた道、参道を僕は登っている。神社と言うと石積みの階段が大抵の場合、こう、山にあると待ち構えているものだが、こちらは石で敷かれた緩い坂道となっていて、一直線ではなしに右に左にと適度なカーブを描いては、ゆらゆらと山肌を上っている。そこを僕は速足ではないにしても、やや軽快な調子で登っていく。距離は結構なもので、改めてこんな場所が近所にあったのか、と浮かべていると再びの鳥居と共に、そこが神社―布佐稲葉宮の境内なのであった。
「今日もここは静かですねぇ、うん」
しばらく境内を眺めた後、脇にある社務所の中に僕は居場所を移していた。最もそれは僕に気付いた果子さんに、前述の言葉を挨拶代わりの様に漏らしつつ、招かれての事であったが、元々今日は、夕飯でも一緒にどうですか、とのお誘いを受けてのものであったので結果として、どうたどったところで同じ結果であったのかもしれない。
社務所の中は、少なくとも広くはない。通された部屋は客間とも言える具合の装いであったが六畳程度であって、案内がてらに複数の部屋を見せてもらえれば、一番広い、表に見える部屋が八畳程度なのを除けば、六畳に四畳程度の部屋が幾つかあるだけで、他にも幾つかの襖があったがその多くが恐らくは同等の広さであろうと推測出来るものだった。
夕飯自体は最初の六畳の部屋にて出された。丸い卓袱台―ちゃんと使い込まれた感のある―を挟んで、面識こそ得ている人ではあるとは言え、親戚だとかではない、また友人でもない他人、かつ異性と相対するのには改めてのぎこちなさを覚えてしまう。しかしそれを打ち消すのが料理の力、と出来るだろう。アツアツの御飯に煮物中心のおかず類、そしてやや濃いめの味噌汁は種類こそ少ないものの味覚として気持ちを満足させて、余裕を持たせてくれるものであったから、それはそうあっと言う間に過ぎていく―途中からお酒も並んでいたから尚更であった。
だから結果として僕は酔いつぶれてしまった、と出来るだろう。酒が中心になってからはそれは話は、宴もたけなわとなるとそれはどうでも良い事でも変な意気投合をしてしまったり同意をしてしまったり、とかく普段と違うペースで盛り上がっていた果てに僕は、静けさの中で目を覚ました。
「ん…果子さん?」
そこは畳の上ではない、柔らかい布団の上であった。枕元にある小さな明りによってそれ等は把握出来うる最大のところであって、他と言えば板張りの床と壁、そして外と中を遮る扉しかない簡素な一室に僕は布団にくるまれている具合で横になっていた。
寝ぼけた声で呼びかけた相手はここにはいない、代わりに、としては何であろうが枕元にはお盆が置かれて、ひとつ水の入ったコップと包みが置かれていた。
僕はそれをしばらく見つめた後、大した考えもなしに手を伸ばす。手を伸ばし、包みを解くと中に入っていた丸い物を口に放り込んでコップの水で流し込む。一瞬、苦しさが走ったのは丸い物が若干大きかったからかもしれない。やや大ぶりのそれは軽く噛み砕いた方が良かったのかもしれないが、水で流しこんでしまえばどうにもないもので、ふっと気持ちが落ち着いてくる―酒を飲んだ後の倦怠感、それが薄らぐ。
酒は美味しい、しかし飲み終えて一息ついた後の倦怠感がどうにも苦しい。そんな印象を僕は抱いているからこそ実のところ、余り飲まないし、飲んだ後はある程度の水を飲むなり、悪酔いに効くと謳われている薬を服用したりしているものであった。だから、余り考えずに手を伸ばしたのも恐らくは、そう言う物を用意してくれたのではないか、との思い込みを以ってであったに違いない。本当かどうかは分からない、今は破いてしまった包みの表に書かれていた書き込みを読めば、一体それがなんなのかはっきりとわかったであろう。
しかしその時の僕はそれで再びの微睡に落ちてしまったものだし、要は夢現の分からぬ境界の間でふらっと揺れてはまた倒れる。一瞬の動きとして起きたのでしかなく、再び眠りの中に身を投じてしまったのだから、どうしようもない、ただその時はふっと湧き上がってきた眠気の波の中に飲み込まれては、沈むしか方法がなかった。