狐と狼 冬風 狐作
「ふぅーん、あなたがその狼になりたいんだって・・・?」
 それは風の如くと言うか、正にその様な具合であった。何時もの通り寝付けずに、布団に包まったままカチャカチャと携帯を弄っていた時にいきなり傍らから、としか思えない響きで耳元に響いてきたのだから。
「・・・!?」
 当然それは絶句である、軽く「えっ」とか小さい呻きを漏らしていたのかも知れない。しかし覚えている限り、それでしかなかった。
「ふふ、驚いてる驚いてる・・・それはそうよね、だって隣には・・・」
 そうその通り故だった、記憶と結び付かないのだ。どうしてその様な声がするのか?隣にいたのは、あったのは、と言うフレーズが脳内で繰り返し再生されては詰まって、消去されまた浮かんでくるのだから。だから困惑の余り、僕は一体どうなっているのかと思ったからだろう、おもむろにそう意識せずに手が伸びる。その方向の布団から感じられる暖かさは確かに記憶通り、それならば、と感じた途端にほんの少しだけだが記憶と思考の糸がつながる。
 それならば、そこに記憶している通りにいる存在がいるはずだと、ふとした緊張感と共にそろりそろりと手は動いていた訳なのだった。指先で感じる熱は次第に上がっていく、そうほんのりどころではないしっかりとした文字通りの暖かさへと変わり、掛け布団と敷布団の隙間が明らかに広がる。そしていよいよ、と予想しかけた時、指先は質量のある暖かいものに触れる
 今思えば、あの様に話しかけてきた存在が僕のしていた事に気が付かなかったとか、全く言及しなかったというのは不自然だったのだろう。あれだけ時間を、決して良くある時間が長くかかったとか、意識的に思い込んでいるのではなく明らかに黙り込んだ上で、ばれないようにと強く思ってしていたと言うのに何の反応もなかったのだから。
「・・・いっ・・・!」
 故に久々の反応を、その呻きを漏らしたのは僕だった。それは明らかな質量。熱を発している固体に触れた指は妨げられる事無く動き続けて、抵抗感と共に明らかな強い熱の中に包まれていったからである。「いったから」と言うのはそうと感じた後、中に指先から始まって手のひら、上腕、肘、と何時しかまとわり付かれて引きずり込まれていく形になっていたからだろう。ふと気が付けばその頃には僕は何とか引き抜こうと、脂汗をかいて躍起になっていたのだから。だがそれも空しく腕は付け根まで飲み込まれて、そしてまた冒頭のごとく、唐突に動きは止まった。
「ええ、こんな動き予想していなかった、と思っているでしょ・・・?」
 ようやく戻ってきた相手の声、それが女の声と気が付いたのは今その瞬間だったが、それは愉快そうであってどこか手馴れたという印象を、すっかり混乱していた最中でも僕に容易に読み取らせる。
「・・・こう言う時でも妙な冷静さを失わないのは、流石・・・ね」
「どうして・・・と言うか、お前は・・・っ」
 そうここまで来ると記憶の中にある隣にるべき存在と響いてくる声の正体の乖離が最大の問題であった。互いにほんのりと黙り込み、そして再び言葉が響く。
「お前・・・そうね、私はあなたが慕っている・・・」
「じゃないだろう・・・こんなんじゃない・・・っ」
 言葉は末尾で被りあった、僕はようやく明確な意思、一種の憤りと共に漏らした。すると返されたのはひそかな微笑み、そして肯定。そう僕の言った通りだとすら漏らして、同時に明らかに包み込まれている腕の部分が熱くなり始める。
「ふーん、意外と強いのね。わかったわ、じゃあこちらも遠回りするのは止しましょう」
「誰だ・・・お前・・・っ」
「あら正体しか興味がないの?今の、自分のおかれている状況に興味はないの・・・ね、わかったわ」
 それは明らかな僕のミスだった。一体相手が何なのか、と言う事に気が傾き過ぎた余りに漏らした言葉尻だけを捉えられて、そのまま持って行かれてしまったのである。それはつい先ほどの腕のごとく、今度は言葉による思考の表明が失われ始めた瞬間だった。
「私は何と言うのかしらねぇ・・・まぁエイリアンとか言われる事もあったし、化け物とか色々と呼ばれたものだけど、とにかくあなた達の常識の範疇を超えているのは確かね」
「エイリア・・・んあ・・・あ゛・・・っ」
「あら、あなたまで言うんだ?まぁ所詮は人間なのよね・・・だからこそ私の網に引っかかった訳だけど・・・御覧なさい?」
 言葉を奪われた最初のきっかけは腕に強い熱を与えられたから、そして続いてはそう肝心の口のわずかな隙間を捩じ上げる様に注がれ、そして塞がれたからだった。その過程は僕が自発的に招いたものではなく、明らかに相手の意図した結果だった。それこそバケツの水が振り落ちてくるような衝撃と共に、一気呵成の勢いで口の中は満たされそして広げられた。あごは限界まで広がっていたのだろう、そしてふさがれた事による息苦しさは鼻を伝って入ってくる冬の寒さを載せた空気でますます増幅され、思わず目尻から熱い物がこぼれ出さずにはいられなかった。
 そしてそのまま体が持ち上がる。正確には言葉の様な優しさはなく口の中に突き入れられた、物体、「竿」と言うべきかも知れない。何故なら、口に突き刺さったそれを介して加えられた力によって体が布団から引きずり出されて壁によりかけられた、その模様にふと竿に引っ掛けられて水中から持ち上げられる水草、それを浮かべてしまったからである。そしてその「竿」は強い熱を急速に帯びだし、それに悶える僕の脳裏にふとした光景が浮かんだのはそれと歩調を同じくしての事だった。

「ね・・・わかるでしょ、もう半年くらい前のだと思うけど・・・」
「ん・・・んぐ・・・っ!」
 それはその通りだった、紛れもなく浮かんでいるのは見覚えとかそう言うレベルではない、僕の日常の1コマ。愛用しているパソコン、それを打つ手と画面の内容は確かにその通りなのだ。
 そして画面の中身たるや、僕は思わず同様をあらわにしてしまった。それは僕の中では重要な記憶、しかし同時に基本的に見られたく、また知られたくはないあの瞬間。そう理解をしてくる同好の士、ともいえる相手に告白した瞬間と言う、小恥ずかしいとごろの話ではないそれが一切のぼやけもない状態で脳裏に浮かんだのだから、その様に反応して当然と言う訳なのだろう。
 もしこれが1人で、かつ冷静に物事を判断出来る際に思い出したものであれば、あの時はそう言う事をしながら、同時にパソコンで何をしていたのか、とかパソコンの周りに何が置いてあったのか、とか覚えていない、少なくとも明確に覚えきれていない事に関心を向けたに違いない。しかし今はそんな暇はなかった、ただどうしてその場面がいきなり浮かんだのかと共に改めて自ら、その文面を読んで、自らのした事でありながらも赤面してしまったからだった。
「ふふ、自分のした事なのに恥ずかしがるなんて・・・なら、しなければ良かったじゃない」
 女の声はそれを追撃するかの様な響き、それに僕が慌てれば慌てるほどその光景は次第に文字だけとなっていき、文字自体も拡大されてまるで何かのスローガンであるかの様に僕の脳裏に示される。
「そうしなければ・・・でもそうだったら、この半年のあなたの楽しみと言うのは全くなかったし、私もあなたをこうして選ぶ事は出来なかったわ・・・ふふ」
 悪女、と言う言葉がその途端に浮かんだのは言うまでもない。しかし瞬時に消え果てて残るのは、あのスローガンと化した文面だけだった。
「さ・・・読むまでもなく認識出来たでしょ、あなたは相手を愛して、それは今でも変わらない。そして今のこの状況を額面通り受け取れない、そうなんでしょ?」
 否応なく僕はうなずかざるを得なかった、それは事実だったから。相手を信頼していたからこそ、そう寄せたのでありそしただからこそ・・・楽しみを感じていたというのに。
「じゃあ私も1つ認めてあげる、と言うよりも教えてあげるかしらね?」
 人間、ここまで不可解な、そして自分の晒されたくない所を見せ付けられる辱めを受けていてまともでいられる確率は低いもの。それでも何とか踏みとどまっていたところでのその示唆は、僕にふとした足場を与える。だからこそ耳を傾けんとして、皮肉な事に少し気持ちは安定したのだ。
「ふふ・・・」
 だが言葉はしばらく微笑んでばかりだった、気侭と言う言葉の通りに熱を上げ下げしたりして僕を試している様な気配すらあった。だから僕は耐えた、どれだけ時間が経ったのか、そもそももう今が幾時なのか分からなかったから余り意味はなかったが、とにかくは耐えて耐えて・・・結局音を上げてしまった。
  

 その後は、余りにも記憶として衝撃によってぶれてしまっているので詳述は最早出来ない。しかしそれを受けた告白は前述した少しの安定など、単なる罠に過ぎなかったのを明白とし、僕はそれにすっかりはまって身動きが完全に取れなくなった事を思い知る。
 そう、最初から僕の告白は相手に届いていなかったというのだから。
「あのメッセージ送る前に、一旦回線切れたでしょ・・・あれ私がしたのよ・・・」
 そうそれは言われてみれば、と言う自発的な記憶の思い返しで裏付けられた。だからこそ否定しようとしてもしきれないばかりか、そうするが故に逆にその記憶が硬い物に変わっていく。
「私は人ではない、常識外の存在だから・・・そう言う事は普通に出来る。この惑星のヒトの作ったネットワークなんて、容易に侵入出来るもの・・・そしてさまよっていたらあなたの所に偶然行き着いたのよ」
 そして回線が再びつながった時、全ての通信は彼女を介して、即ち、僕の通信環境の中に彼女は居座ったのだと言う。そしてその告白が相手ではなく彼女に届いて以降、以後、特にあの思いを寄せた相手との会話は成りすました彼女とで繰り広げられていて、無様にも僕はそれをすっかり信じ込んでエスカレートさせていたと言うのだ。趣味が同じ事を良い事に、狼になりたいと書いたのに留まらない思いを。
 それは信じ難がった、だがこの状況をご覧になって信じないの?と言われたら反論が出来ないのもまた事実。そう少なくともここまで来て夢の中、と言うのは信じたくても信じられず、むしろ残酷であろう。しかし激しい動揺の中にの熱は、じわじわと、そして何時しかもうそう言う配慮すら不要との勢いで体に、心に満ちて行く。それは体もそうだった、動揺とそれの引き連れてきた意識の希薄さの内に咥内で留まっていた竿は、喉を経て食道、気道へと入り体の中を満たす。
 当然それに伴う組織の破壊はあったろう、だがそれによる苦しみはもたらされた熱によって、ただひたすらに緩和されて次第に体の中は何もかもが混ざり合った状態になり、熱せられて膨張していく。もう骨格も何も無い様に。声も思考ももはや全てが止まっていた。間も無く、脳すらも犯され溶かされ満たされて、僕は、僕の体は爆ぜた。ある程度の芯を残して、熱によって不要と選別されたものは全て液状になって飛び散る。そして芯もまた強い熱の中で形を崩して行ったのだった。

「何だこの現場は・・・っ」
 マスクをした人物が思わず漏らす。同時に踏み込んできた人々も思わず足を止め、マスクをしていると言うのにその上から手で口を覆う等してうめき声を漏らさざるは得なかった。彼らは警官達、多くの事件現場と言う場数を踏んでいる彼らですら、思わずその様な反応を示したのだから耐性の無い場合の反応たるや果たしてであろう。
「何があったのかすらわからん・・・それに酷い臭いだ・・・」
 妙な熱と共にその部屋には化学的ではないにしても、では何の臭いなのか図りがたい悪臭が満ちていた。この様な現場であるから第一通報者、この部屋に住んでいた子供の両親である、と言う事だが気をすっかり取り乱してしまい、どちらも今は病院に運ばれてしまったと言う。その様な現場を前に話し合う警官達、それを眺めている存在がいるからこそ、この様な描写が出来たのを忘れてはならない。

「ふふ・・・皆驚いてます・・・」
 それはその部屋の中からだった。隠れているのはそうなのだがそれはその様な声を上げたところでその場にいる人間には分からない。
「あらあら・・・まぁ、想像出来ないものね・・・こんなの、ふふ」
 男の声に女が返す。それはあの2人の声で刺々しいとか緊張感だとかは浮かばず、むしろフレンドリーと言うべきだろうか、そう言う意味での親和さが漂っている。その動く口元を互いに平たくは無く、突き出て鼻先は黒い、そうマズルが突きあっている。
 最もその形は全て一様ではない、女の方はすらっとして直線のでありながら滑らかさを持った形であるのに対し、男の方はややきつくしまった感じがして少しばかり歪んでいる。だがいずれにしても互いに長めであるのには変わりなく、それだけで人ではない事ははっきりしよう。よってその姿はもっと支点を離して見ればより明確で、女は淡い金色、男は白い獣毛、いやつるっとした感覚からは色、と言うべきなのだろう。そのある程度の輝きを放つ色に全身を包んだ2人は、それぞれを女は男を狼と、男は女を狐と呼んで互いに体を労わり合う様に撫でては、時として人間達の動きを見て話題としていた。
「ふふ、こんな近くに僕はいるのに・・・」
「面白いでしょう・・・何時も私はあなたをこうして見ていたの・・・」
「もう恥ずかしいナァ・・・でも今は・・・嬉しいかな」
 狼はかつて自分がいた部屋、そして自分の行方を探そうとする人々を見て、そして狐の言葉に思わず尻尾を振っては言葉を感慨深そうに返していく。
 前述した通り、彼らの姿は外の人間達には見えていない。しかし彼らは部屋の中にいる、ではどこにいるのか?そう、それはネットワークの中。そしてその端末となる、PCの内臓カメラを通じて彼らはその模様を眺めて談じていたのだ。だから幾ら騒いでも、そもそもその様な中から見られているという発想は浮かばない事から安心と言う訳なのである。
「でも不思議な体・・・ネットワークの上を行き来出来て、そして外に出る事も出来るなんて・・・」
 狼はそう体を撫でた、ネットワーク上にあると言う事はそれは即ちデータである。しかし彼自身にはそれは冷たいデジタルな物ではなかった、暖かさのあるアナログな己だった。
「だって私の仲間だもの・・・恋しかったわぁ、だってずっと独りだったから、ね。今はあなたの好みに合わせての姿、狐だけど、他の姿にも変えられるから・・・ね?」
 そう漏らす狐はぐにゃっと一瞬歪んだ後に姿を変えて見せ付ける。それは人であった時の「狼」の姿だった。だが狼は特段反応は見せず、自らの体を愛しそうに撫でながら呟き返す。
「そんな、その体こそ仮の姿・・・今の姿こそ僕が望んでいたのだもの・・・ふふ」
 その姿に狐は続けて何かを言いかけたが言うのを止めた、そしてまた狐の姿に戻ると寄り添う様に隣に行く。それは無言、しかし穏やかそうで軽く尻尾を振るところにその気持ちは現れていた、と言えるだろう。とにかく人ではない、それは事実。ネットワーク上ではデータの一種と化して自由に行き来し、姿を自在に変える。そして媒体となる物を得れば、外へ熱となって出て物理的に世界を歩く事の出来る・・・エネルギー生命体達の談笑なのだった。

 だがその一方、人間達の間では困惑ばかりが広がっていた。どうみてもそれは、1つの考え難い結論にしかならなかったからである。それはそのベッドの上に寝ていた人間が中からいきなり爆発した、と言う事。そうでなければこの部屋の汚れ具合は説明がつかなかったのだ。しかしどうして爆発したのか?そこが分からない、少なくとも爆薬だとかそう言う反応は出ていない以上、体が自ら爆発したとしか出来ないが余りにも立証し難い。
 その内の1人が溜息を漏らしたのは言うまでもなかろう、そしてその何気なくベッドの上に向かった視線がある物を捉える。それはそのベッドで爆発があったと言うにも関らず、無傷で何事も無かったかの様に鎮座している金属製の湯たんぽ。そしてそれはますますその不可解さを強める材料以外の何者でもなかった。
 だが矢張りと言うべきか、それに構う事無くむしろ飽いた2人、狐と狼は何時しかネットワークの海の中へと姿を消していた。


 完
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