狛犬物語・第11話・狐のお使い冬風 狐作
 光線一閃、と表せよう強い刺激を見つめた先より受けて以来、麻子は今自らが何をしているのか良く理解出来ない状況のままにいた。
「あーあ、先を取られてしまいましたねぇ、麻子さん」
 トウゲンの大きな声が響く、それはどこかでは矢張り、と状況を確認する響きに加えて言う事を聞かないから、との溜息の交じり合うものであった。
「そんな事言ってないでトウゲン、助けてよ!」
 麻子にはそれがとても冷たく聞こえた、しかし求めるしか出来ない。何故ならより状況が分かっていて、かつどうすれば良いのか最善の考えを有しているのはトウゲン以外にいないのだから。少なくとも目の前にいる二人組、そう狐達よりはずっと頼りになる。それは裏返せば知っているから、との薄さはあれど確実性は高いのは違いなかった。
 しかしトウゲンはそれを無視した、地に這う四つん這いの足を微動だに動かそうともしなかった。そしてそのマズルの中にある口、そこだけを少し動かしてまるで馬鹿にするかの様に赤い舌をだらんと垂らしてくるのだ、そうどうなっても加勢する気はないですよ、と言わんばかりに。
 それは麻子にとっては正に先が見えないとの思いを強くさせるものだった。視線の向きを変えれば対峙している狐の、先に現れた女性はシンコ、そして続いて現れた背丈のやや低く、また若さのある女性はショッコとなる狐達はそれぞれこちら側のやり取りを観察している、との具合でショッコの耳元に何事かとシンコが囁けば、口元がほほ笑むなりその手を動かすのである。
 そのショッコの動作とは正しく次なる攻撃を意図したものだった、状況を結果的に書くならば今、麻子は孤立無援の状態となっている。それもある意味ではハメられて、との具合だろう。立ち位置を見れば麻子に対してある程度の距離を置いてショウコが向き合い、そしてその少し後ろでシンコが状況を見つつ、ショッコへと時折何かしらの指示を下している。それは正に駒との具合であり、ショッコについて「我のお使い」とシンコが紹介した通りの関係であるのが良く分かる。
 そうした連携ないし統制の取れている彼女達に対し、麻子の側は、となるともうどうしようもなかった。肝心のトウゲンは今は局外中立、と言わんばかりの場所に立って麻子の側に近付こうともしない。ただこちらから何かを言えば返しこそあるがそれだけで、何か実のあるアドバイスだとかは一切なかった。
「ほら、どうです?大変ですよね、でも僕にはどうにも出来ませんよ」
 そんな状況下で起きているのは正に仕組まれたものとしか感じられない、ハメられたとの表現がより相応しい。即ち、シンコとトウゲン、そしてそこに実行役としてのショッコの三名が顔を合わせるなり間もなく交わしたやり取り、その中で麻子の同意抜きで決められた事が今、実行に移されていてそれに対して麻子は完全に受け身なままに応じざるを得ない、となっている。

 シンコとトウゲンの関係も良く分からず、そこに加わるショッコまで、とならば本当に不明なままに麻子は事態に対処せねばならなかった。それは辛いの一言に尽きるし、ショッコの繰り出してくる攻撃は除けるだけで精一杯だった。
 最もより言うなら、最初の一撃はそれが攻撃だとは分からなかった。何か強い光がこちらに不意に向かって来た、との認識を抱いた瞬間に何か強い打撃的な感触が半身を包んで吹飛んだ。だから認識は出来ていたのである、攻撃された、と。そしてそれは1年前の記憶をある程度ではあるが不明の内から明確の表の内へと蘇らせる。
 あの時も不意に事態に巻き込まれたものだった、そして訳も分からずに指示を今のショッコがしている通りにトウゲンからされて従って、そのまま身を任せたら勝てた、そう相手を倒せたとの記憶が実感となってはっきり蘇るなり、心なしか気持ちが高ぶる感がした。
 しかしあの時、自らの身に飛びこんできたトウゲンは今回はとてもそうしてくれるとは思えない。もしかすると懇願か何かすればしてくれるかもしれない、と予感出来るがすぐに彼女はそれに否の判断を下す。即ち、それは私としても出来ない、と。そう彼女にも意地がある、それが今の間に必要なのかは分からないが受け身とは言え、まだ良く分からぬ相手の前でそうした姿勢に転じるのは良くないだろう、との直感がその判断を強く支持していた。
 そうなると不思議と冷静さが増していく、自らの意志と判断にある程度ながらも自信を回復出来た証だろう。だから再び腕を掲げて攻撃に踏み切ろうとするショッコの動作を認識出来たし、有効かどうかはともかくすぐに駆け出す準備だけは姿勢として何とか取れたのだった。
「おやおや、少しは自覚したのかねぇ」
 それを見たシンコは口元を覆う半狐面の中でふっとつぶやき薄く微笑むなり軽く地面を蹴る、それこそまさに合図となってショッコに対して作用する仕草であった。
「…来た!」
 わずかな間もなく、ショッコが掲げた腕を振り下ろす。正確にはその手に掴んでいる得物たる鎌が肩の動きにわずかに遅れて宙を斬る動作をした途端、光と衝撃波がじわりと、そして急速に強まって麻子の方へと向かって来る。それはもあ幾度と無く見ては喰らっているものだった。
 しかし、それは先ほどよりもずっとゆっくりに見えたから回避の行動を、ようやくと冠してしまわねばならないが手早く麻子は取れた。しかし甘かったのはその弾道が直線である、と判断してしまった事だろう。実際には本当に緩やかに弧を描く具合であって、体の多くは逃れられたものの左足だけが食らってしまい思いっきり前へとつんのめってしまう。
「痛っ…」
 前のめりに、それでも何とか姿勢を変えられたから右腕の側より地面にぶつかり衝撃は緩和出来たが、少しばかり左足の感覚が鈍い事が気になっていた。ただ再び立ち上がろうと試みると何とか両足を踏ん張れるから失われたとか、そうした事はないだろう、と見なせてただ息だけは荒めのまま麻子はショウコの方を向く。
 改めて見るとショッコの井出達はドレスにケープとなってシンコとは瓜二つだった、ただ違いは髪の長さと纏っている半狐面だろう。ロングヘアのシンコに対し、ショッコはショートヘアにして半狐面は上顎から上の額の側を覆っている、そして色は朱を帯びているのは変わらないのだが白銀と言うよりも文字通りの白に近く、朱の色がより明確な衣装となってドレスに纏われているのが特徴的と出来るだろう。
 だからわずかに見える口元の動きしかショッコの表情をうかがう事は出来なかったが、たまに歪む唇の中にはきれいな歯が並んでいるのが見える。そしてまた次なる攻撃を繰り出す、今度は腕を掲げるのではなく鎌を持ったまま真横に切る動作を見せてきて、光と衝撃波は正に真横に弧を描く形で向かって来た。

 どう回避するか、それは普通に考えたら屈むか何かだろう。とにかく横に逃げるのは得策ではない、何故なら幅が広いのだから。だから、と思った瞬間、麻子は自らの体に対して驚きを抱かざるを得なかった、そう屈もうとしていたのに体が勝手に飛び跳ねたのだから、そしてそのままショッコの放った攻撃の光影をやり過ごせたのだから。
「な…っ」
「おお…!」
 途端に複数の驚きの声が交錯する、誰彼とも無く、その場にいた面々の少なくとも過半は放ったであろうそれの内に麻子は当然含まれていた。だから着地するなり自らの足を見つめてしまう、大きく地を蹴って跳ね上がったのは左足、そう先ほどショッコからの攻撃を食らった脚だった。
 先に感じていた感覚の鈍さを麻子はもう感じ得なかった、ただ何だか違う違和は継続して抱けていた。言ってしまえば感度が良い、と評せるだろうか。とにかく体の他の部位よりも鋭敏になっている、そしてそれ自体は攻撃に対して屈もうと思っていた時にはもう既に感じていて、そして反して跳ね上がった時に確かなものだと認識を得たものだった。
 相変わらずシンコのもたらす明かりの中に見える左足、それはすっかり露出していた。山に行くからとの理由で履いていたジーンズの生地は先に直撃した攻撃の影響で大腿部の半ばあたりからすっかり弾け飛んでいた。しかし生地が無くなり見えているはずの生脚は見当たらない、正確に言うなら皮膚の色が見当たらない、だろう。
 代わりにあるのは色づいた足だった、ふっさりとした毛並みに覆われた一回りも二回りも太くなっている強靭、との響きの似合う発達した太腿が残ったジーンズの生地を限界まで張らせた上で夜風の中にそれは鋭い爪を蓄えた爪先を含めて、ヒトならざるものとなっているのを麻子はようやく認められたのだった。
「良い、良い…狗の脚が見えて来たねぇ。最も我のお使い狐よりも粗野な気配はあるの、のう、ショッコ?お主が人から変わった時とは大分異なるのはそやつが狗じゃから、と心得るが良い」
 そして大きなシンコの問いかけ混じりの声が、それはもう細かな息遣いまでそれなりに距離があるのに聴き取れた瞬間でもあった。そしてその中に混じる言葉は麻子に対して新たな疑問と共に今の状況に対する答えの断片を提示するものに他ならなかった。


 続
狛犬物語・第12話・狗と呼ばれる意味
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