コーシーとバター・後編 冬風 狐作
 無言のままに僕は改めて、今度は両手の掌を合わせた形で視線の前に持ってきた。水を汲む時の様な格好をした掌は変わりがなくただその脇、足の上にかけたカラフルな二色の毛皮に包まれた尻尾が見える以外は普段のままである。しかし・・・大きく幾つかの点で僕は違っていた、尻尾に耳に加えて首筋もまた毛皮で覆われ頬にまでそれは進んでいる。そしてそれらは人には本来存在しないのもあれば、形状が異なる・・・とにかくヒトとしては存在しない他の生物の特徴だった。
「この毛皮・・・尻尾に耳・・・虎そのものじゃないか・・・。」
 噛み締める様に細切れに呟く僕、それはそのまま答えだった。もう何度も思いで反復したものを改めて呟く愚かしさは無かった、突きつけられた現実は余りにも重くそしてそうしなければ耐えられなかった・・・その矢先。
"・・・!"
 耳に感じる足音、気がつくと共にドアへと首を向けた途端に乱暴な勢いで扉が押し開けられ数人の人影が押し入ってきた。その内の1人は見覚えのある"執事"・・・その顔は愉快そうに歪んで何かを小脇に挟んでいる。
「おや、どうされましたかお坊ちゃま・・・?その様な姿をして。」
 全ては承知しているという顔をしての疑問形は不快以外の何者でもない、それでも答えそして睨みつける。
「・・・転んだだけだ。」
「それは一大事・・・すぐにお戻ししましょう。」
「来ないでいい、自分で・・・戻れる。」
 そう言って近づいこうと一歩踏み出した"執事"に僕は強く静かに言う。
「ほう・・・おや?歩けないから車椅子なのでしょう・・・お忘れになる筈の無い事ですが・・・?」
「ほら・・・な。」
 その言葉を遮るには間に合わなかったが、僕は弱りきった足の筋肉で難儀はしたものの自らその場で立ち上がるのを見せ付けた。そして沈黙がもたらされた間に、僕は片手を机についてバランスを保たせる。
「立てた・・・本当だったな、小岩野。効果が・・・。」
 すると"執事"は僕に驚きの声をかけるでもなく、別の意味での驚きの声を脇にいたジャケットを着たメガネの男にぶつけた。するとその男はその分厚いメガネを上げつつ、軽く口元を奇妙に微笑ませて語りだす。
「ああ成功だ・・・成功だ、第一段階は成功だ・・・これで進めるぞ・・・ひひひ・・・。」
 気味の悪い潰れたような声だった、それに最後の笑い声が加勢して一層それを浮き彫りにさせて強く感じさせる。続けて軽く更に"執事"を挟んで隣にいる男に目で合図し頷くと、その男は小脇に挟んでいた鞄を立ったまま器用に膝を上げて台替わりにして載せて中から何かを取り出し小岩野に渡す。
「これで・・・これで完成・・・ひひ・・・旦那様も喜ばれる・・・。」
 小岩野は1人ボソッと呟きながらスイッチを入れた、すると途端に響きだした音に僕は全身か表面から掻き乱されるような感覚を覚えた。そして頭が痛くなり思わず両手で頭を無きヒト耳の辺りに手を置いて抱え、その後片手を外して顔の正面から軽く外したあたりを漂わせながらまたも苦悶の呻き声を漏らす。
 目はとても開けてはいられない、硬く閉じている間にとにかく体の中にまで波及してきた今や乱舞とも取れる不快な感覚に苛まれて・・・もう限界だった。狂えるなら狂ってしまいたいとすら思える中で僕は肉体の変化には気がつかなかった、両手両足の爪がヒトの指の形に見合った形で鋭利に伸び苦悶の吐き出される口の犬歯が鋭くなり、その周囲の全ての歯の位置までもが動くのには。
 そして首から下がほぼ全体的に毛皮に包まれていくのには気がつかなかった、苦しさの余り変化の辛さを解消しようと言うのか僕は大きく喚きつつその上着を引き裂きのた打ち回る。見えた素肌の代わりにあるのは橙と黒の虎縞の毛皮に覆われた肉体、そしてまだ残るズボンはといえば包んではいるもののどこかぶかぶかで動く度に脱げて行く。
 心なしか体の骨格が小さくなっている様だ、しかし体は・・・虎柄の模様に相応しくと言えるのか、骨格には筋肉が付きそれでいて中途半端に人のままで幾つかの部位が残ったままになっているアンバランスさが、その時の僕の身の上に起きていた奇妙な光景をますます演出していた。それを臆する事無く見つめ、また動画として記録している3人の姿もまた異質であった。
「・・・ッ!・・・ガッ!・・・・あ・・・があぁぁぁっ!」
 そして大きな咆哮が部屋のみならず屋敷にこだまし・・・果てた。

「ふむ・・・そうか。」
 そこは静かな・・・静かな空気の中に程よい緊張感と重厚さが漂う一室。静かにその黒さの中から存在を主張している大きな机に面した皮製の回転椅子に腰掛けた背広の男が、机の前にドアを背にして立っての報告に時折頷きを入れつつ聞き入っている。
「ご苦労だった、これでグループは安泰だよ・・・君達の功績には相応の形で報おう。」
「はっありがとうございます。」
「では下がりたまえ・・・また後日、正式に決定次第伝える。」
「了解致しました、それでは失礼致します。」
 そう言って去っていく男は一礼して向きを変えてドアに手をかけ、そして再びの一例の後に姿をドアの向こうへと消した。それを見送り・・・取り出した葉巻で一服する男は、その煙を見つめて視線を固めると吸い終ると共に人を呼ぶ。やって来たのは1人の女、スーツに身を固めての姿は何とも凛々しくそして美貌であった。
「正男に伝えてくれ・・・片は付けた、後はお前次第とな。」
「かしこまりました、会長・・・早速にですね。」
「ああ早急に頼む・・・心待ちにしていることだろう。」
 そう伝えた顔に自然と微笑があるのは見逃す事は出来ないだろう。それを見届けた女は軽く頷くと無言のまま退出して行った。

「ふふ・・・ふふふふ・・・ひひ・・・。」
「おいおい、小岩野お前笑い止らないなぁ・・・。」
「だってさ・・・とうとう成功したんだ・・・成功したんだ・・・嬉しくて・・・。」
「まぁ確かになぁ・・・最もあのガキが少し哀れに思えんところも無いがな、俺は。」
 ところ皮ってこちらは実用一点張りの部屋の中、置かれた鉄製の机を挟んで座り込んでいるのはあの厚眼鏡の小岩野と"執事"と呼ばれていた男である。2人は鉄机の上においたお茶をそれぞれ時折飲み干しつつ話を続けていた。
「ガキじゃない・・・あれは僕らの実験動物だ・・・動物だよ・・・最高の成果さ・・・。」
 一杯飲んだ小岩野はそう言ってまた笑う、それを見つつ"執事"は苦笑する他無い。
「俺としては褒美も気になるがね・・・あのガキの実験の為に半年もあの屋敷に住み込む羽目になったんだからな。相応のものが欲しいところさ。」
「そうだね・・・ひひ・・・でも僕は・・・アイデアが浮かんでならないよ・・・もっと確実な効果を出す為に・・・ね・・・。」
「それはいい事だ・・・ちょいっと中途半端だからな、あのガキ・・・。」
"まぁ・・・財閥の後継者争いってのに巻き込まれたのもかわいそうだが仕方ない・・・。"
 彼は知っていた、自分が半年もの間頼まれて住み込みで相手する事になった小岩野が実験動物と呼ぶ青年の素性、そしてどうしてこの様な事態に至ったのかを全て把握していた。青年、つまり僕はとある巨大財閥の会長が愛人に生ませた子供であったのだ。
 その父親たる会長としては、正妻との間に出来た子供が不治の病とその頃には言われていた難病で立派に跡を継ぐまでに成長出来ないと見込んで、子供を生む事を愛人を口説き落として子供、つまり僕を生ませ密かに英才教育を施していたのだが、その内に実子の抱えていた難病を治す特効薬が開発されものの見事に回復してしまった為に方針が転換されてしまったのである。そう当初の目論見通り、正妻との間の実子に跡を継がせる事に。
 その事を知った愛人は怒り、父親たる会長に僕が正当な後継者だと認めさせようとしたのだが時既に遅し、もう手は回っていて数日してその愛人、つまり僕の母親は失踪してしまったのである。
 恐らく消されたという事だろう、しかしその時僕は消されずに・・・愛人を消す為に積極的に動いていたのは正妻の側であったので、正妻から隠そうとその様にして市井に紛れ込ませたのであるが上手く行かない内に僕が大怪我をしそれで発覚。追求された会長は正妻に、僕を"処分"する事を確約したもののどうしたものかと大いに迷った挙句・・・ふとした事で知り合った"執事"を通じて小岩野の実験に供したという次第、それが僕が"執事"であった男から密かにこの牢の中で告白された事であった。
「すまない事をした。」
 そう言って"執事"は頭を下げて牢から出て行き鍵をかけた、しかしそうされた所で何の解決にはならない。むしろ僕は告白を聞かされた事でこれまで知らなかった事実と、自分自身かつながり驚き以上の安定感を感じていたのだから謝られても困る。そう思いつつ僕は、首に巻かれた黒く分厚い皮に金属ワイヤーが仕込まれた頑丈な首輪と鎖に鋭い爪を持っておきながら、人の手と同じ形のままの指を走らせつつ片手で股間を軽く揉む。
 変わり果てたその姿は虎と人のハイブリッド、人で言えば16才かそこらの体で中途半端な混ざり具合がどうも"執事"のお気に入りらしく、小岩野の目を盗んで僕は何度も"執事"と身を重ねた。小岩野は僕に投与した自らの開発している薬、人を異形なる獣との中間の姿に変えて2つが調和し安定する年齢・・・人で言うとそれは16才前後が一番相応しいと言う年齢まで肉体を逆行させると言う"執事"曰く、小岩野の趣味の為の薬の改良型を投与されて更に姿が変わる事になるらしい。

 "その事について"執事"は残念がっていたが僕はそうでもない・・・もう僕は僕であって僕ではないのだ。そう思い言い聞かせればするほど、考えたりするのが億劫になるし快感を欲する気持ちが余計に募り、首輪と股間を弄る両手も垂れて軽く滴が頬を伝い獣毛を湿らす。それはまもなく春の季節の訪れ近くの日の晩の事だった。


   完
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