読めない返事・後編冬風 狐作
 数週間後、紅梅が咲く中で彼等の通う高校でも卒業式が執り行われた。高校統合後初の卒業式と言う事でその事を強調した祝辞等が幾つか読み上げられたが、最初の頃の物はともかく後になって来るにつれて真面目に聞いている姿勢は段々と薄れて行った。どれもこれも変わり映えがしないからであろう、そしてそれは卒業生のみならず保護者の間にも漂い始めていた。それが関係したのかは分からないが代読で読み上げられる筈の祝辞が幾つか時間の都合により、として読み上げられなかったのは学校側の配慮であったのかもしれない。
 そうして外に移動して記念撮影、澄み渡った青空の穏やかな日和と言う絶好の条件下にて撮り終えると一旦保護者共々各クラスへ入り、最後のホームルームをして解散となった。高校卒業、これほど象徴的で大きな意味を含んだ物はないだろう。確かに大学卒業も社会人として社会に出る、と言う点では大きな意義がある。
 しかし大学と言う存在は学校と言う教育機関でありながら、多様な人々で構成されているという点において他の学校、つまりは小中高とは異なっていると言えよう。高校までは一部の私立学校を除けば大概はその地域に根付き、中学よりは幅が広いとは言え基本的にはその高校の学区内の小学校、下手をすれば保育園の頃から連綿と保たれている地元の繋がりが生徒の間に静かな連帯感として息づいている節がある。
 高校卒業とはその連帯が解れる瞬間であるのだ、ある者は就職し、ある者は進学する・・・こう書くと中学卒業の時点で既にそう言うのが見られると言われるかも知れない。しかし現在では余程困難な事情のない限り高校へ進学するのは当然であり、それは社会的な常識としてすっかり定着している。それに仮に高校へ進学せずともその就職先はその地域内に留まるのが大半であり、ただ生徒か否かと言う違い以外はそれまでと大して変わらない。その気になればこれまで通りに付き合う事も可能であろう。
 それに対して高校卒業では、中学の時のようにするのは中々困難である。何故なら進路が多様化しているからだ、大学、専門学校、就職・・・と色々な道へと分かれて行ってしまう。そしてそれはまずその地域内で満たす事は出来ない、だから皆外へと出るのだがその行先も一つではなく文字通り離散する。その広範囲に渡る離散で気軽に付き合いを保つ事は難しく、それは距離が広がるに比例して大きくなっていく。
 そして特別な場、例えば同級会等の一時的な場以外では出会う事も、そしてその存在を思い出す事も稀となりやがては無数の何でも無い記憶と共に見失ってしまう。だから普通の友人関係と言う物を維持するのはまず困難で大概は途絶えてしまう場合が多い。唯一絆の様に強い物がある場合を例外として・・・。

 余程強い何かがない限り避ける事の出来ない関係の消滅・・・それはあれ程までに雪野に熱を上げて歪んだ思いをぶつけていた時野にも現れていた。
 彼は卒業から半年もしない内に気持ちを薄れさせており、半年も経った頃にはすっかり忘れ去ってしまっていた。この事は結局彼においてはあの事は、一時の徒花に過ぎなかったと言う事の証左以外の何者でもない。ふと思い出す事はあったが然程関心は払われなかった、もう彼の中ではそれ以外の無数の特に思いも払われない記憶の一つに過ぎなかった。
 そして約一年が過ぎ去ろうとしている春先のある日の事、ふと探し物で部屋中を掻き回していた時野は下宿先へ引っ越してきて以来ずっと開けずに放置していた段ボール箱を発見した。どうしてそんな物を持って来てそこに置いたのか、一体何が入っているのかは全く見当が付かなかったが良い機会だとばかりに部屋の真ん中へと引き摺り出して埃をはらう。
 重さはそうでもなく軽い感触を感じ興味を募らせつつ、カッターで封を切り開けると中からは茶色い紙の包みが姿を現した。それ以外には何も入ってはいなかった、そうなると俄然興味はその包みへと注がれる。そして、そのまま中に入れたまま袋を破るとそこには白い物が姿を見せていた。
「これは、セーターか・・・買った覚えはないけれど・・・。」
 取り出し開いて眺める時野、頭を捻らせても一向に記憶は浮んでこない。タグが付いていない事から既製品ではないことは確かであるが、生憎彼の家族や親戚でこれほどの裁縫の腕前を持つという評判を聞いた事は一度として無いからそう言ったプレゼントと言うのも考え難い。
 特に考えも無くふと裏返したその時、彼は一枚の紙がホッチキスにてセーターに張り付けられているのに気が付いた。何事かと書かれていたので気になって破り取って目を細めて読む、そして次の瞬間から幾度と無く読み返した時野は予想だにしていなかった驚きと喜び、そして恥ずかしさに包まれたのであった。
"雪野さんが僕に・・・何でこんな事忘れていたんだろう、あの時はあんなに夢中だったのに。思えば失礼な事をしたものだったなぁ・・・。"
 お礼をしなくては、ふと思った彼は手前にある受話器を取ろうと手を伸ばした。だがまずは思い止まりセーターに付いていたホッチキスを慎重に外すと、羽織っていた半纏とシャツを脱いで下着の上にセーターへと袖を通す。その感触は中々の物であった、手触りは柔らかく着ているとまるで綿の中に包まれている・・・そんな心持すら感じられたほどだった。
 そして何よりロクな暖房もかかっていない薄ら寒い部屋の中だと言うのに不思議と温かい。恐らくは下着を通じての体温によってそうなっているのだろうが、彼はこれまでに下着とセーターだけを着てこれ程までに温かいと感じた覚えはなかった。温かいと感じた時は最低でも必ずセーターの下にシャツを一枚着込んでいるのが常であった、思わずこの温かさに心の底から納得してすると時野は着たままで掃除を再開した。

「ふぅそろそろ終わりだな。」
 探し物も見つかり同時に意外な物まで見つけられた事を思いながら片付けている内に、もう九割方は整って終わりはもう目前に迫っていた。そこまで来た所で手を止めて時野は額の浮んだ汗を腕で拭き取る、そう動いたつもりはないのだがわずかに動いただけで熱がこもって汗が出てきてしまう。寒いのよりは余程ましではあるがそろそろ脱ごうかと思いつつ、汗を拭いながらふと違和感を感じた。
"服がずれない・・・何だろうこの引き攣るような感触は・・・。"
 その思った言葉そのままに彼は感じた。そうセーターが全く擦ってもずれないのだ、それだけなら然程疑問に思う事も無かっただろうが同時に皮膚も動く感触、当然動くと言うだけはあってセーターと全く同じ動きを見せていた。更にはセーター越しだというのに、まるで皮膚に直接肌を付けた様な触感を強く受けたのであった。
 訝しく感じた時野は腕を視線の先に持ってくると、袖の先を抓んで見ようとした。結果としては確かに指先で袖先を抓む事は出来た、しかしそれは少し変わっていてセーターの袖と共に皮膚も持ち上がると言う事を含めての結果である。その時はただ驚きの余り呆然と、そして次にはその袖であった場所をかきむしる指の姿があった。
 だが袖は離れない、それどころか赤くなった皮膚の所に白い物・・・白い巻き毛がそっと見えたかと思うと恐ろしい勢いで生え始めた。途端に彼は大きく口を空けて天を仰ぎ見る様に荒い呼吸を吐き出した、途轍もなく熱く息苦しい・・・視界は幸いにして保たれているが触覚、痛覚、嗅覚・・・それらが何の見境もなしに暴走している。心成しか時野は自分の腰の上の辺りに空虚感を感じる。
 何だか体の中から何物かがなくなった様な奇妙な感触だったが確かめている余裕は微塵も存在しない。ただ机の端に手を掛けて息を荒くし耐える以外に何も出来なかったと言うのが事実で、その頃には顔の全面と腹部全体に内から込み上げてくる強い力に気がすっかり奪われており、ふとその脳裏にはザクロの身の様にぱっくりと割れた己の顔を浮かびあがってくる。
 そして閉じている目蓋を押し破って眼球が飛び出すのではないかとすら思えるほどにまでなった時、時野は目を見開いて大きく絶叫した。その短い絶叫は然程続かずに絶える、それと共にたまりにたまった力は爆発した・・・ザクロの様に破裂こそさせはしなかったが、ある形へと何かの意思にそってかの様に顔と腹部の形を変えて行った。そしてそれが彼に起きる最後の異変だった、何故なら圧力に苦しんでいる最中に他の異変は完了していたのだから。 

 全身を覆うモコモコとした白にわずかな黒のかかった獣毛、だがその厚みのある毛並みも肘や膝を過ぎた辺りから次第に薄くなり、そして手先や足先は黒い微細な産毛の様な無数の毛に覆い尽くされ爪先は立派な蹄に、そして手はその形のまま指先だけが分かれたまま蹄の如く硬くなっていた。当然それらは全て黒一色・・・膨れ上がる顔も今やすっかり黒く微細な毛にて覆い隠され、鼻腔の形はすっかり変わり目も後へと下がり趣を変えている。
 顔の形は何処か馬に近い気配を漂わせていた、しかしその黒には光沢が無く何よりも耳が縦ではなく横に付きだしている。そして鼻の長さもわずかに短くそして耳の付け根の付近から大きくあのモコモコとした獣毛、羊毛に覆われていたのだから。
 あの息苦しさと圧力が終わり安堵を一瞬得た時野はすぐにその姿に唖然となった、手提げ鏡に映るのは羊の顔、その口から出るのは人の間違える事の無い自分の声・・・だが次の瞬間に出たのは羊、驚きの叫びは羊の声。羊と人の相の子と言った己に狼狽する以外にその場では何も出来なかった。
 そんな有様からして、腹部の獣毛の中に存在する幾つかの膨らみと睾丸の裏に潜む湿った割目に気が付く筈が無い。時野はその場に腰が砕ける様にへたり込んだ。その顔には、羊の顔であるにしても呆然として焦燥した色が強く浮んでいた。

「あれ?時野はどうした?」
「連絡が付かなくてね、来てないよ。」
「そうか、なるほどね。」
 ある時集まりの場にて1人の男が尋ね言葉を交わす、そして隣に寄り添う女の顔からは何かが零れていた。


 完

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