乾燥肌冬風 狐作
 冬が来た、思えば冬と言うものは縁の下の力持ちの様な存在だろう。春夏秋と人を始めとした無数の生物に数々の利益をもたらした自然は冬に皆眠りに付き力を蓄える。勿論ここ最近の人間の技術力の進歩によって若干以前とは違う様相を呈している観も否めない、だが基本的に田圃を例としてみても田圃がただの土でいられるのは晩秋から早春の冬の間のみ、それ以外の季節は何がしかの形で使われているのが常である。
 俺はそんな季節、冬が好きでならない。確かに寒く居心地は良いとは言えない、だがその様な一面に他のどの季節にも無い魅力を感じてしまうのだ。だがそんな思いも所詮は片思い、幾ら俺が冬が好きだ、好みだと言っても冬は一介の人間の言う事など意に介さずただ自分の有りの侭の姿を見せ続けるだけ。そしてそれは毎年の如く、今年も俺を悩ませ煩わせるのであった。

「全く・・・今年は全身か。あかぎれが出ないなと喜んでいたと言うのに・・・。」
 風呂上り、何時も通りに堪能して上機嫌で上がって来た俺は、体を拭き終えて脱衣所の脇に置いてある袋を見て途端に意気消沈した。手に取った白い袋の表には「外用薬」と赤い印字、その下に手書きで中に入れられている薬の名と塗布すべき回数が記入されている。そして閉じられている袋の上部を表に上げると中には数種類の塗り薬のチューブの姿があった。
 その中の幾つかを手に取り洗面台の上に並べてみる。保湿剤に中程度のステロイド、弱いステロイド、痒み止め・・・等、総勢5種類のチューブがそこに姿を現した。今からこれだけの物を体に塗ると思うと毎年の事とは言え気が滅入る、特に今年はこれまでに無く症状が酷いので昨年までの全身とは言いつつも脇などの一部に限定されていたのとはスケールが違う。文字通り全身、首や顔の髪の生え際からふくらはぎまでの体全体に塗らなくてはならないので、一体塗り終わるのにどれ位かかる事か考えると時間が惜しくてならなかった。
 とは言えその様な事を考えていた所で何も生まれはしない、風呂上りに十分な湿気を肌が保っていられるのはわずかに数分しかないのだから。
"生まれ付きとは言え勘弁してもらいたいものだよ・・・本当に・・・。"
 気持ちの中はまだ落ち着いてはいなかったが蓋を外して穴を開け、中から軟膏を手先に押し出すととにかく酷い幾つかの箇所へ急いで塗り始める。アトピー性皮膚炎と言う持病を今年も抑える為に。

 結局その日は20分ほど掛けて全身に万遍無く薬を塗りこんだ。翌日、翌々日となってくると次第に毎年の感覚を思い出してくるので手際が良くなり、一週間もしない内に何とか10分前後で全てを終えられる様になった。そして肌の荒れ具合もまるでそれに呼応するかのように改善を見せ始めた、だがある程度まで来ると中々そこから先には進まなくなってしまう。どうしてそうなってしまうのか、簡単に言えば原因は全て自分にある。無視すべき物を無視しきれない自分にあると言えよう、痒みを無視出来ない自分に原因はあるのだ。
 しかし完全に自分を責める事もまた難しい。結果として全てを責めてしまう事は即ち、どれだけ痒くとも痒みを無視する様に自制して機会があればすかさず逃さないで痒み止めを塗る等対処し、一刻も早く完治する様に努めている自分をも否定する事となってしまうからだ。問題は覚醒していない時、要は寝ている際の自分にある。寝ている時の自分は起きている間の鬱憤を晴らすかのように、痒ければ何の躊躇いもなく体を掻き毟る事で痒みを解消しようとする。
 だが痒い物を掻けば新たな痒みを生むだけで何の解決にも繋がらず、精々一時の心の平穏がもたらされるだけに過ぎない。そして症状は悪化し痒さと鬱憤と医療費だけが嵩む事になり、毎朝目を覚ました際にシーツやパジャマに付いた血痕を見てつく溜息が増えるだけなのであった。
 だがその悩みもそろそろ解消されるかもしれない、今日手に入れたこれによって・・・ようやく終わりを迎えられるかも知れない。俺はベッドの上に投げ出しておいたビニール袋の中から見たそれを見てそう心の中で呟いていた。

 指先に抓まれているのは2つの布製の筒の様な手袋である。通常の手袋と違って月にも書いたように形は筒状で五指に指の部分が分かれていない、色も白ではなく濃いこげ茶色で竹槍の先の様な形をしていた。
「最終兵器手袋とでも言って見るか・・・まるで蹄みたいだな、これ。ヒヒヒーン・・・。」
 ふと見て思った俺ははめるとふざけて馬の嘶きの鳴き真似をしてみた。勿論この手袋はその様な空しい物真似をする為に購入したのではない、夜の間に例え痒くて手が無意識にそこへ動いて掻き出してしまったとしても傷を広げない為に購入したのである。
 素材は綿で柔らかく指が動かないので大まかな動きしかする事は出来ない、手首をビニールか何かで縛って寝る事も考えたがそれでは地震等の際に咄嗟の行動に移れない恐れが出てくる。だからすぐに手首に止めたホックさえ外せば取る事の出来る、この手袋を探し回って買い求めた次第なのだ。もう俺はウンザリしていた、何時までも治らない皮膚炎と薬地獄に・・・治る方向に進むのなら悪魔にだって魂を売ってもいいとさえ思うほどなのであった。
 それほどまでに思い込んでいるのだから、この手袋に懸ける俺の思いは並み大抵の物ではないのが良く分かる事だろう。そして一あくびするとホックを閉じているのを確認して、電気を消して布団に潜り込んだ。心成しか何時もよりも良く眠れそうな・・・そんな気がして目蓋を閉じた。

 静かな寝息が響いている寝室、男は静かに安眠を貪っていた。彼の体の表面は保湿剤とステロイドに痒み止めの三重コーティングがされていて薬特有の湿り気がある。そしてその舌の皮膚の汗腺からはわずかに汗が分泌されつつあった、俗に言う寝汗だが少しでも皮膚を掻かないようにとパジャマの上にジャージを着て寝ているので冬だと言うのにかなりの量をかいている。
 それらは最初はコーティングの方が勝っていたが何時しか混ざり始めて混合し、ついには垢をも巻き込んでなにやら訳の分からない物体と成り果てた。やがて液体となると静かに傾斜に沿って表面を流れて行く、幸か不幸かその日は布団一式が日干しにされていたのだ。
 太陽の熱を含んだ羽毛布団と毛布、厚着された衣服の下でこもった体温由来の熱は次第に強くなっていく。汗も連動して多くなり腕にて発し、腕の傾斜に沿って流れて行ったそれらは、手首の下で止められているホックにより進路を阻まれてその場で手袋へとジワッと染み込む。そして一時間ほどした時、ホックと皮膚の境目からは無数の長い毛がふきだした、異変の始まりであった。
 男が目を覚まさない中で腕手首から吹き出た長い毛、茶色の長い毛に引き続いて二の腕の方へと皮膚が毛に覆われ始めた。だがその毛は肌に張り付くように濃密な極短毛な毛、どこかで誰もが見覚えのある様な毛である。そしてそれは最初こそ茶色であったが、途中で白くなり斑としてまた茶色になり・・・気が付いた時には上半身全てがその2色の毛にて覆われていた。
 元々筋骨隆々としていたその体は、より逞しくなった様に見え、また毛に覆われた所からは皮膚炎やかさぶたの様なものは一切認められなかった。ただかつてそれらがあったと思しき辺りの毛だけは白くなって転々と点在している。そして全身へ毛が広がったのとほぼ同時に別の変化が現れた、何と筋肉が盛り上がり始めたのである。同時に骨も形を変え始め聞くに堪えがたい音が布団の中から響き始め汗の量も一気に増加した。
「ウッ・・・ウゥッ・・・。」
 寝息も荒くなり時折呻き声もまた漏れ始めるが目蓋を開けるまでには至らない、その間にも体は次第に巨大化し布団が盛り上がり始めた。パジャマかジャージが発したのだろう、何かが破れ弾けるような音もまた聞こえてくる。何時の頃からか布団の裾から棒の様な物が突き出していた、その先端から何かが下に落ちると赤電球の光に黒光りをして鈍く輝く。
 それは蹄だった、蹄と肉の付け根には長い毛が無数に生えている事から恐らくそれは腕の変じた物であろう。枕元に目をやればそこにも大きな塊が一つ、途中で屈折した形をして頭にしては妙な大きさと形と言える。ふと気が付くのは寝息の音が大きくなった事だろう、少し布団が動きによって捲られたその時その全容が現れた。何とそこにあったのは馬の頭、茶色と白の斑混じりの獣毛に覆われた完全なる1頭の馬の頭が男の頭のあるべき所に横たわっていたのである。

 そして動きも収まり平穏に再び包まれた際には布団の辺りはとても平穏とは言えない有様に変じていた。あれほど整えられていた布団はいまや完全に脇に避けられており、無数の布切れが散乱している。そして敷布団の上には巨大な横たわる物体、赤電球の下に見える白い斑のある茶色い獣毛に覆われた1頭の成熟した馬の巨体・・・この部屋の主たる男の姿は見当たらなかった。
 ただ馬の巨体と布団に布切れが散乱した部屋・・・その様な惨状の部屋の電気がいきなり明るく灯された。同時に見下ろす様にして腕組みをした人物が土足のまま畳の上に立っている、そしてその人物は小さく呟いた・・・。
「やはりこれは失敗か・・・ナイトに言っておかないとな。今度も上手く言っていないとこれでは駄目だ、まぁとにかく後始末とするか礼も兼ねた上で。」
 数秒後、部屋の中は眩いばかりの光に包まれた。電灯の光などその前ではちゃちな物でしかないと言わんばかりの光に・・・そしてその光が消えた後、部屋は再び赤電球の世界に戻った。そしてその部屋の中には静かな寝息、寝返りを打つ音・・・。翌朝目覚ましの音を止めるたびに布団の中から伸びてきた腕は人の腕であった。そしてその日以来、男が皮膚科へ足を運ぶ事は無くなった。薬を塗る事も無くなった・・・と風の便りで伝わってきた次第である。


 完
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