「よし・・・てか効果あり過ぎかも・・・。」
7センチと言うのは快挙であり喜ばしい事だ。しかしそう感じていた一方で俺は恐ろしくも感じていた、二週間と少し飲み続けた成果が10センチ余りであっと言うのに確かに一気に一週間分を飲んだせいだろうが一晩で7センチとは何とも性急である。単純に10センチ余りを日割りで等分すれば約一日に付き0.5センチ・・・11倍以上の伸びなのだ。
「飲むのを止めた方が良いのかも・・・いやな予感がするなぁ。」
思わずそう呟いて台所の流しの棚の上に置いてある袋の束を見た、脇にはあのすり鉢もある。恐らくは今晩もあれへ手が伸びてしまうであろう、そしてまた明日の朝・・・それは誘惑と恐怖の綱引きだった。2つの力は懸命に我が方へ引き寄せようと力を押し合う、前者が欲であり後者が理性と言うのかそれとも本能的な感覚か。中身はともかくそれらは懸命に力を張り合い、そして散った。勝者は前者であった、そして審判であり観客である本人は宣言する。誘惑の勝ちと、これで彼は吹っ切れた。背が伸びるならどうなっても構わないと。
そして彼はその夜も同じようにして飲み、朝に喜びそして夜・・・その繰り返しの結果、8週間分の薬はわずか一週間にして消えた。目標の180センチには4週間分の粉末を総計して飲み干した翌朝に達して超えていた。喜ぶ反面、流石にこの高さになって外に出て知り合いに合うのは不味く、上手く説明できないのでしばし大学やら何やらを休む事にして家に篭る事にした。大体単位もかなり取ってあり、食料も冷凍食品や缶詰を中心に2週間程度はあるので食い繋げる。また数日前に買ってきたばかりのRPGも未プレイそれを娯楽の糧としていくという算段にしていた。
そしてその計画は当初こそ予定通りに進んでいた、だがゲームを予想よりも早く全面クリアしてしまった事が破綻の第一歩となったのは皮肉としか言い様がない。何故なら彼は自他共に認めるゲーム下手であり攻略本無しにはロクにプレイ出来ない男であった。だから今回の様に攻略本が無ければ、二週間くらい延々と自分なりに考えつつ進めていけるだろう、そして上手く行けば何とかクリアしている筈・・・。
だがどうした訳か今回は勘が冴えに冴えた。自分でも驚くほど数々のイベントをクリアして行き・・・気が付いた時には最終イベントをも完全クリアしていた。思うに一度も頭を悩ませる事はなかった、と言っても過言ではないであろう。
「俺って凄いかも・・・2日で終わっちゃったよ。」
驚きと興奮もそこそこにネットへ繋いだ彼は早速その関連掲示板に書き込んだ、完全クリアしたと。数時間後そこを覗いた彼は思わず飲んでいたコーヒーを噴き出しそうになった。そのあまりの反響の大きさには、どうやら彼以外に誰もその掲示板の参加者達はクリア出来ていないとの事。中には信憑性を疑って自分が手こずっている所の攻略法を書け、と書いてくる輩までいる始末。彼はネタばれではないかと考えたが、嘘吐き呼ばわりされるのは癇に障ったので肝心なお楽しみのシーンを除いて書きこみ続けた。
時には信憑性を高める為にお楽しみシーンも添えて丁寧に・・・だがその内にその努力も不要になった。何故ならその通りにプレイした人々からそれは正しかったとの書き込みが幾つも帰ってきたからだ、そうして彼はその日その掲示板の"神"となった。掲示板への急なアクセス数の増加にサーバーが悲鳴を上げたのも無理は無い。そうしてその日から数日、その掲示板は混雑した状態が続く事となった。
「いや、人助けをすると気持ちが良いねぇ・・・。」
一先ずPCの電源を切った俺はそう呟いて夕食を手にした、今日はレトルトのカレーである。昔から自分はこのブランドの中辛カレーが大の好物であって、よく皆が食べる某社のカレーは余り好きではない。それ故サークルの夏合宿にて連日連夜、好みで無いカレーが出された時にはかなりげんなりとしたものだ。だがここしばらくはそうではない、あの無理矢理食べさせて来た上に罰ゲームとして作りすぎて残ったカレーを自分を含めた一年生に食べさせた先輩もいない。正に天国である、俺はこれまでの自らの頑張りに感謝しつつ顔を綻ばせてカレーを口に運び、しばしの至福の時を味わった。
その晩、いつも通りに寝付いた俺だったがどうした訳か珍しく深夜の三時頃に目が醒めた。珍しい以外に何も無かったので再び眠ろうと目蓋を閉じるが如何にも眠れない、空しく時間だけが過ぎ去って行く・・・一体原因は何なのか。そう思った俺が頭を覚ますべく水を飲もうと台所に立ったその時、ある事を思い出した。そう薬を飲んでいないのだ、とは言え昨日も飲んではいないと言うのに昨日はよく眠れた。
だからこの仮説はそこが弱いのだが、一昨日までは飲んでいたのだから仮に薬が影響しているとしたら切れた事による反動なのかもしれない。そう一応の結論を導き出すと、何処かで無性に薬を飲みたくなり始めた。ここまで大きくなったと言うのに・・・次に我に返った時、あの特有の感じが食道に残っていた。目の前にはすり鉢、そして粉の残骸と錠剤の入っていた袋の残骸・・・結局、飲んでしまったのだった。すると急に眠気が何も思う間も無く襲ってきた、強烈である。恐らく薬の中にはその様な成分があったのだろう・・・そこまで考えた所で布団に潜り目を閉じてしまった。
そして翌日も俺は薬を飲んだ。もう習慣、いや中毒になってしまったのかもしれない。薬なのだから有り得る事だ、あのモルヒネだって少量限定でわずかに使えば末期癌患者にとって有用な鎮静剤となる。しかし多用すると麻薬に・・・これも似た成分があるのかもしれない、それとも未知の成分なのかもしれないがとにかく中毒性が。そう思いながら飲み続け、そして今日とうとう最後の粉末を飲み干した。これでもう薬はない、注文する気も無いが・・・禁断症状等と言った物騒な物が出ない事を祈るだけだ。
2日後、再び夜中に目が醒めた。しかし前回とは違う事に眠れなくて醒めたのではない、妙な違和感を感じての事だ。何だか体が節々が痛い、布団に入っているとは言え熱もある様子。そしてそれ以上に直接的に妙だと感じたのは・・・音だった。
ゴキッ・・・ゴキッ・・・ゴリッ・・・
何かか動くような響き、生理的に違和感を感じる不快な音。擂り粉木で何かを潰す時とは別の、似たような感じでも何処か違う音が耳に聞こえてきた。そしてその音が自らの体から響いている事に、同時に痛みと連動していることから気が付いたのは数秒も経たずの事。何が起こっているのかと慌てて布団を捲り上げて見えたその先での光景に、思わず顔は凍りついた。そして驚きの声にならない声がそれに続いていた。
「なっ何なんだこれ。骨が・・・動いてる!?」
目の前にあったのは足の膝関節、そこでは折りしも皮膚にうねりが・・・何と間接的に見える足の関節の骨が大きく揺れて動いたのだ。途端に空気と骨を伝わってあの音が耳に、脳裏に響いて来たのである。
「嘘じゃないんだよな・・・本当なんだよな・・・。」
心なしか太くなった様に見える関節に手を当てたその時、再び骨は動いた。音と刺激だけではなく手を通じてはっきりと感じられる。骨は動いていた、そして太さをも持ち合わせて・・・その後に及んで気が付いたのは、すっかりズボンが破れ去っていた事だった。無残な残骸と化した布切れが空しく暖められて転がっているのが分かる、それを手に取ろうと体を動かして再び彼は目を大きく見開いた。何と手が足以上の変貌を遂げていたのである、そう腕は完全に白く覆われていた。
指はと言えば白いと共に黒い光沢・・・凝視するとそれは微細で密集した毛であった。そして光沢は硬度を持った見慣れぬ物で第一間接から先がそうなり指もまた長くなり、腕も若干太くそして見合うだけ伸びてしまったようだ。破れてこそいないもののパジャマが悲鳴を上げている。脱ごうとしたが、それをしただけで破れてしまった。
舌打ちをしつつ露出された肌を眺めた俺は思わず悲鳴を上げそうになった、何と現れた二の腕は更に変容を遂げていたからだ。白い謎の毛で包まれたで包まれた肘より下、そしてその辺りからは薄黄色をベースに大きな幾つ物濃いカーキ色と言うかその様な感じの大きな斑点・・・どこか見覚えのある毛に覆われていたからだ。
「これはまさか・・・キリン。そんな馬鹿な、夢を見ているんだ俺は・・・違いない、寝れて起きたときには元ど・・・おぉぉぉぉっ!?」
俺は瞬時に絶叫した、激痛が脳底を直撃し全体へ響くまるで割れてしまう様な感覚。だが何とか意識を押し止めて痛みに悶えつつ状況を探ろうと努力した、幸いにして何とか布団から出る事は出来這いずる様にして洗面台の鏡の前へ。そこで我が目に映った光景は常軌を逸する異質なものであった。
言葉にならない悲鳴が脳裏で上がり、呻き声だけが漏れる口から一時的に大きく呼気が排出される。そこでは自分が人でなくなっていく姿が一部始終映されていたからだ、ゴキゴキと響く音に比例して伸びる首、伸びる度に白とキリン柄の毛・・・獣毛に覆われ消えゆく肌色の肌。顔も全体的に前へ窄めた様な形になっている、鉄砲百合かそれとも円錐と言うのか、その様な感じで変わりつつあった。
頭も頭髪の位置がすっかり変わりあの豊かな存在は無く、モヒカンの様になりそのまま首の裏の筋に沿って背中へ続き消えていく。色もあの豊かな黒から明るい茶色に成り果てていた。そして耳は獣の物へ、かつてこめかみと呼ばれていた位置が動いたものの近くに移り姿を変え、そのやや後ろの中側からは2つのキリン特有の小さな角が現れた。
そして口の間から垣間見える舌は青色で細く長い・・・顔の変貌は完全に済んでいた、胴もやや伸び終いに乗馬鞭の様な尻尾が伸びる。ようやく変化が終わった、その姿は最早人とはとても呼べない。とは言え獣とも・・・呼べはしなかった。
「どうなったんだ・・・俺の体は・・・これじゃ外に出られない、背は伸びたけど・・・これでは・・・。」
翌朝、普段ならカーテンも開けられている時間になっても彼の部屋のカーテンは開かなかった。ガスのコンロも付いてはおらずわずかに漂う炊き上がったご飯の香りの中で、静かに響く後悔の入り混じった主の呻き・・・それは誰に聞かれる事の無い、余りにも過酷な現実の始まりを静かに告げていた。