姿変われど・下冬風 狐作
 しばらくして3回ほど通ったある日の事、見境の自宅の居間にて雑談していると急に彼は立ち上がり見せたいものがあるから、ちょっと待っていてくれ。と言って部屋を後にした。彼女は言われた通りにその場でソファーに腰掛けて待っていると、程無くして戻って来た見境は鈴の音と共に戻って来た。
「これなんだよ、見せたいものは」
 そう言うと彼は手に握っていた細い紐を引っ張る、すると扉の影からある者が姿を現した。
「これは…女の子じゃない?どうしたの?」
「先日ふとした事で手に入れたんだ、中々可愛いだろう?」
 と事も無げに見境は紐の先の首輪を首に填めた少女をミサトの前に引きずり出した。少女は獣人と言うものを始めて見た様で目を丸くして、だが怯える事無くじっと見詰めている。そして得意気に見境は口を動かし続けた。
「それでね、僕は思ったんだ。この子も獣人にしてしまおうかとね、そして君を僕の元へと身請けするんだ。そして…」
 見境は尚も話し続ける、だがその内容を聞いてミサトは目を細めそしてその内にすっかり冷めた。それは余りにもその話が見境の欲望に忠実過ぎたからであり、また身請けをしたいと言われた時点でミサトはいやその中にいる総一が思ったのかもだろう。これは危ない話だと、早々に手を打たなくては後々困る事になるだろうと考えたのである。
 それと共に彼女は先程から目の前に立たせられている少女の事が非常に気になって仕方がなかった、何処かその顔に見覚えがあるのである。色々と考えて思い浮かばなかったミサトは、ひとまずそこで見境を乗せて少女を含めた写真を撮ると予定よりも若干早く娼館へと帰った。
 帰館後すぐに経営者であり協力者の知人に面会すると見境の考えを忠実に告げ、同時に写真を渡して気になって仕方の無かった少女の事を調べるようにと指示を出した。どうして一時的な形とは言え、従属する下位の存在であるミサトにそれが出来たのだろうか、理由は簡単なもの。
 実は、そう実はこの獣人娼館の本来のオーナーは総一なのだから。そして一時的に信頼の置ける知人に管理を委託しているだけであり、運営費や収入は知人の取り分を除いて全て総一の隠し口座へ入金され捻出されているのである。勿論、どれも偽名や他人名義で処理してあるので世間に足が付く事はない。いつかは身を潜めなければならない時が来る、そう予感し用心していた賜物と言えよう。

 調査の方は数日で完了した、その結果ミサトに知らされたのは驚くべき事実であった。何とあの少女は総一の一人娘の綾香なのだと言う、ミサトはもとい総一は驚愕した、どうして綾香があのような運命になっているのかと。総一は地下へ潜る際に妻と娘に自分がいなくなっても満足してやって行けるだけの保証をして、地下へ潜りこの様になった。その後風の便りでは日本を出て海外にて母子2人にて慎ましく生活していると聞き、安心していたのだがその綾香がどうして日本にあの様な形となっているのか皆目見当が付かず、また妻がどの様になってしまったのかと気が気でならなくなった。
 報告はまだまだ続く、何でも総一と別れた足で2人は海外へ飛び妻の知り合いの元へと身を寄せた。その後数年間はそこに留まって平穏に暮らしていたものの、場所を貸してくれた知人が事業に失敗し家が競売にかけられた為、独立して別の場所へ転居。しかしながらその際に詐欺にあって財産の殆どを騙し取られてしまい、困窮した妻は低賃金労働者として働く一方でかつては幾多の男を魅了したその体を売って娘との生活を支えた。
 だがその後、妻は性病に感染。気が付かないまま放置したのが祟って全身が蝕まれてそのまま娘を残して他界、残された娘の綾香の元には借金取りが押し寄せて弱り果てていた所に、母親の身を殊の外気に入っていた客の1人がそれを肩代わりして綾香を引き取り養育する事となった。
 だがその男がとんでもない男で半年ほどで正体を表し、綾香に暴行した挙句、人身売買組織へ高値で売り付けると言う暴挙に出る始末。結局あちらこちらを転々と盥回しにされて日本へ戻り、そこであの若手実業家の目に止まり買い取られて、事情あってとは言え獣人娼婦として生きている父親の総一と思い掛けない形で再会したと言う訳だ。
 真相を知ったミサトは心の中ではらわたが煮えくり返るほど怒り狂っていた。しかし、それを表に出すと言う愚かな事はせず頭を巡らせ、何としてでも愛する娘を真っ当な道へ引き戻す事を考えた。と共に再会のきっかけを作った功を差し引いても、自分好みの獣人へ改造しようと企むあの実業家にも1つ痛い目に合わせてやろうと決意した。
 前者は純粋なる親心と言うものだろうが、後者には親心と共にカナと言う獣人とは言え女心が加味されていたのは間違いない。とにかく親心と女心と言う執念深く徹底的に追求する2つの心は心中において融合し、同じ目的を達すべく手段を尽くす事を誓ったのであった。

 ミサトこと総一が自分の代理人的存在である所属する獣人娼館経営者、つまりこのような身である際の自らの代理人を通じて、娘奪還と見境への報復計画を練り続けていた。だがその間にもその様な事は終ぞ思う筈が無い見境は平気でミサトの元を訪れ、彼女も何事もなかった様に振舞っていた。
 だがいよいよ見境が娘の綾香の改造の日取りを決めようとしていると言う連絡があった後、ミサトは一度だけ会いその後は事情により会う事が出来ないと予約が入る度に、政財官界の面々を相手にしながら拒絶する作戦に出た。勿論、その時に相手をした客を通じてその事が漏れぬ様対策は打ってあり、万全の体制で練った計画を実現へ向けて準備していた。
 そして最後に出会ってから数ヶ月が過ぎ去ったある日の事、もう大丈夫だろうかと思ったのであろう。久々に入れられた予約をミサトは受け、条件としてあの少女を、娘の綾香を連れて来る様に告げると見境は快く受け入れ少女を伴ってミサトの訪問を自宅で待ち受けていた。
 一方ミサトは経営者の運転する車で数名の心当たりと共に見境の自宅へと向った。敷地内に車を止めるとミサトは足早に玄関へ駆け寄り、待構えていた見境と抱擁を交わして室内へ入る。すっかり見境はミサトに夢中であり、今や他のものには全く関心を向けてはいない、あれほど几帳面な彼が玄関のドアをかけ忘れているのだから間違いないだろう。そうなると事前にそうなるだろうとミサトに教えられていた随行者達はミサトの洞察力に頷きつつ、場を荒立てる事無く静かに家の中へと侵入し息を潜めてその時が来るのを待った。
 久々の再会を楽しみながら一通りの事をしつつミサトは見境の隙を窺った。隙だらけに見えるが油断は出来ない、人間火事場の馬鹿力と言う言葉がある様に、いざとなったらどうなるかは本人でさえも分からない事がある。
 その余波を受けて少女が、娘の綾香が傷付けられもしたらますます死んでしまった、いや自らがある意味死へと追いやってしまった様な格好の妻へ顔向け出来ない。その様に考えていた総一もといミサトは、行動を起こしても絶対的に有利な状況に持ち込める機会を探って、何時も以上にその鋭敏な神経を研ぎ澄まさせて見境の相手をしていたのだった。

「そう言えば…あの子の首輪の紐、ちょっと握っても良いかしら?」
「あぁ良いとも、良いとも。僕達の娘となるんだから遠慮する事は無いよ、はい」
"勝手な事を言って…この子は私の娘だよ。"
「そう、ありがとう。じゃあ握らせてもらうわ」
 ミサトは心の中で総一が舌打ちする一方、ミサトとして喋りつつその紐を手に固く握り締めて娘を近くへと寄らせた。そして、十分自分で確保出来る場所に置くとふと半ば無理矢理に手を滑らせて、机の上に置かれたグラスを1つ床の上へと落としたのだ。グラスは当然の事ながら床にぶつかった衝撃で割れて四散する。
「キャッ!?」
「大丈夫?今、取り除くから…」
 本当、総一は鈍感なようだ。ミサトをしてあれほどワザとらしくしたと言うのに全くそれに気が付かず、完全に不慮の事故だと思い込んでいる。そして足元に散らばったグラスの欠片を拾い集めようとしたその時、乱暴に部屋の扉が開けられ音が響き渡った。
「そこまでだ!見境、動くんじゃない!」
 真っ先に入ってきたのは経営者、右手に拳銃を握り締めて銃口を見境へと向けている。なるほど流石に国防軍の退役将校だけはある、その姿には全く無駄がない。そしてその後からは3人の黒一色のスーツを身に纏った男達が立ち入り、四方から同じく銃口に取り囲まれる形となった。その間にカナと少女、綾香にはもう1人の男が庇う様に付く。
 何が起こったのか分からないと言った顔をしていた見境は、すぐに悟って今度はわなわなと体を震わせながら立ち上がると大声で怒鳴った。
「何だお前達は!?勝手に人の家に入ってきて何をするつもりだ!この泥棒めがっ!」
「泥棒とはまた失敬な言い様ですな、見境幸久さん。我々は泥棒等と言う連中ではない、と言う事をまずは肝に銘じて頂きましょう」
 そう静かに応じたのはあの経営者である、彼だけは黒服の中で唯一白服を着ていた。
「じゃあ何だ?強盗か?」
「強盗も泥棒も呼び名が違うだけで同じ物を示すのですよ、見境さん。主席卒業のあなたの言葉とはとても思えませんね…まぁ私が言うべき台詞ではないかと思いますが、それはさて置いておいて…教えてあげましょう。一度しか言いませんので、我々は…」
「何者だ、お前らは」
「獣人組合の者です…あなたを処分しに参りました。川村ミサトさん、いや川村総一さんからの通報に基づきましてね。分かるでしょう?あなたなら」
「獣人組合?どうしてそれが俺の元にどうして川村総一が…あの稀代の大詐欺師がどう関係しているんだ!俺は面識が無いぞ、それに川村ミサトだと…おいミサト、お前」
「話はそこまでに、見境さん。我々は短気なものでして、長話は好きではないのです。さて罪状は誓約書違反…組合発行改造許可証明書偽造、そして改造未遂。この3点です。心当たりはおありのようですね、その調子ですと…」
「知らん、知らんぞ。そんな事…おい、ミサト冗談だろ、裏切ったなんて嘘だろ。なぁ助けてくれ、頼む。俺との仲じゃないか…」
「だまりな、ヒヨっ子の分際で良い気になるのも大概にするんだな。見境幸久」
「ミサト…お前」
 すっかり自分の悪事を突きつけられてぐうの音を上げた見境は、助け舟を若干の衝撃を感じつつそれでもと先程の事を忘れてミサトに求めた。だがミサトが応じる筈がない、そして彼女は男の総一の声で言葉を放ち、見境と事情の良く飲み込めていない綾香は別の立場から目を白黒させた。
「良くもこの子を獣人へ改造しようとしやがったな…お前は。手切れとして教えてやろう、この子は俺の娘だ。俺の一人娘の川村綾香…そして俺は、女の獣人姿で言うのもなんだが故あってこの姿をしているに過ぎない、お前曰く稀代の大詐欺師の川村総一だ。そして…済まなかった綾香。お前と母さんを路頭に迷わせるような事をして…駄目な父親だが許してくれ」
 その後しばし場は凍りついた。永遠に融けぬのではないかとも思えたが、それはある一言で打ち破られた。
「お父さん…なの?」
 綾香の一言であった。カナいや総一が静かに応じている間に茫然自失として顔面を蒼白にし腰の砕けた見境に男達は飛び掛り捕縛した。そして彼は引っ立てられ何時の間にやら敷地内に乗り付けられた組合の輸送車にうわ言を呟きつつも放り込まれると、何処ともなく運ばれていった。

「ただいまー」
 それから幾年かが経過した時の事、すっかり大人の女性として真っ当に成長した綾香は嬉しそうな声をして玄関のドアをくぐった。そして靴を揃えて上へと上がる。
「おう、お帰り。早かったな」
 新聞を捲る音と共に聞こえる応じる声。
「もうお父さんたら、男の人みたいな声出さないでよ」
「何、気にするな…体は獣人でも女でも気や中身は男のままだからな。勘弁してくれ」
 そこには総一の声を口にしながら新聞を読む狐の獣人女の姿があった。そして捲られる新聞の一面には・・・。
『改正遺伝子管理法国会通過、成立。完全獣化体公認へ。』
 時代は確実に動きつつあった。


 完
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