スライム冬風 狐作
 ある日の事だった。私が家へと帰るとお向かいのおばさんが、自分の留守中に届いた物を預かってあると言って小包を手渡してきた。貼ってある伝票は見慣れた宅配会社の物、宛先は確かに自分になっていたが、どうした訳か差出人の欄には何も書かれてはいなかった。
 私はその事を不審に思ったが、目の前にいるのは荷物を預かっておいてくれたおばさん。これが宅配会社の配達員だったら、身に覚えがないと言って突き返しただろうがとても出来た事ではない。私はとりあえず頭を下げると家の中へと小包を脇に挟んで入って行った。
 部屋の隅においておいた小包、それに再び関心が行ったのは夕食を食べてからの事だった。テレビをつけたまま、小包を手に掴んで机の上へと上げる。丹念に箱の様子を見るが、伝票の差出人欄が空白である以外は特段変わりの無い白い段ボール箱であり、耳を当ててみたが何かそう言った物が入っている気配は窺えなかった。
 そして貼られた割れ物注意のシール、ここまで来ると一体中に何が入っているのか知りたくなってきた。おばさんから手渡された頃にはこのまま捨てるかとも考えたが、改めて手にしているとそれは何とも勿体無く思える。
 私はタンスの中からハサミを手に取るとまずは閉じてある紐を切り、そして封となっているガムテープをハサミの刃先でサッと切り分ける。そうしてそっと静かに蓋を開けると、中には幾つかの新聞紙の玉。恐らく緩衝材のつもりだろう。そしてその中心に銀色のステンレスの缶詰が横になっていた、手にとって見てみるがラベル等は特に無く、ただ1つ取り扱い注意とだけ書かれていた。
 その缶詰は今時珍しいプルタブの付いていない缶詰だった、台所から数年ぶりに使う缶切で上蓋を開けて中身を見る。中には無色透明のボールの様な物が入っていた、一応皿を持って来てその上へと出すと出てきたそれはまさしくボールで、大きさはソフトボールと言った所とてもひんやりしている。
 軽く握ってみたが弾力があって中々気持ち良い、私はしばらくそれを揉み砕くと壁にぶつけて一人でキャッチボールをしてから、元の缶詰の中へ入れて棚の上に放置した。
"どこの誰だか知らないが、中々良い物を送り付けて来てくれたわ。良いストレス解消になる。"
 そしてその晩は疲れていた事もあってそのまま布団を敷き眠りに就いた。

 深夜、彼女がいびきを立てて眠っていた頃だった。突然地震も、何も振動が起きていないと言うのにその缶詰は震えて倒れ、中からあのボール状の物、いや無色透明の不定形な形をした物が流れ出てきた。
 しばらく棚の上に留まっていたそれは、まるで意志を持つ生き物であるかのように蠢くと動き始め、最初は棚に沿って垂直に床へと下りる。そして布団へ登って女の足の裏の目の前にて静止し、触手の様に体の一部を細く伸ばして彼女の足の裏へそれを触れさせる。足の裏へ触れた触手はすぐに縮んで元通りに物体の一部へ収まると再び震えて心なしか大きくなり、上部が隆起して口の様になるとそのまま被り付く様に女の足を包み込んだ。
 だが女は気が付かなかった、目を覚ます事はなかった。ただその時に寝返りをうっただけでそれ以外には何も事を起こさなかった、寝返りによって一旦は離れた物体、形からしてスライムは安心したのか軽く体を震わせると再び足を包み込みそして静かにじわじわと、爪先から足に沿って上半身に向けて体を自らの中へと包み込み始めたのだった。
 スライムはその後、2時間掛けて首の付け根にまで達した。後は首と頭を残すのみで体の殆どは取り込まれてしまっている。だと言うのに彼女が気付く素振りは見られず、そればかりか気持ちが良いのか楽そうな寝顔をしている。
 まぁ無理も無い事だ、何故なら今日の深夜の気温はもう9月であると言うのに27℃もあるのだから。熱帯夜でないとは言えども、この所の涼しい夜に慣れていた体にとっては堪らない暑さであったに違いない。その苦しんでいる所に、スライムと言うひんやりとした物体が体を包み込んで外気と体を遮断し、こもっている熱を冷やしてくれるのだから、体が本能的に喜んで受け入れるのは当然の事だろう。
 そして首筋まで来たスライムは疲れたのか10分ほどそのまま固まり、再び蠢き出す。それはこれまでと同じペースで首を上へと包み込み始めるものだった、既に取り込まれて長い足の方を見れば、腰の辺りまでのパジャマは全て分解されて影も形も無くなって肌が露出しており、ちょうど臍の辺りのパジャマが溶かされつつある所であった。
 数十分後、いびきが途絶えた。寝息の音すらもしない、見れば完全に女はスライムの中に取り込まれて先程は臍の前後まで残っていたパジャマも、今や肩の辺りをわずかに残すのみであり完全に消え去るのは時間の問題であった。そして5分後、彼女の纏っていた全ての物が消え自然のままの姿となった女が、無色透明のスライムに全身を取り込まれて浮んでいた。その姿は琥珀の中に浮ぶ古代の生き物の化石の様にも見えなくは無い。

 静かな状態、つまりスライムに動きが再び見られたのはそれから更に30分ほど経過した頃。それは女を取り込み包み込んだまま振動し始める、と言うものだった。最初は小刻みにやがては激しく、まるで紡績工場の紡錘の様に大きく振動すると、遠心分離機にかけられたかのように激しく円形になって回転し、ある一点へ。そうその円の中心に向って収束し始めた、そしてそのまま楕円形からドーナツ状となり、最後には最初の頃と同じソフトボール大の玉に成り果てた。当然の事ながらその玉の中にもどこにも女の姿は無い、ただ玉の中心には赤黒い球体・・・卵黄が浮んでいるのみである。

 それから丸一日が経過した、部屋の中の電話には赤く着信メモリーが灯り、画面を見ると『チャクシンアリ 03件』の文字。恐らくは無断欠勤した事による会社からの連絡であろう、だが留守番は入れていないのでメッセージは記録されていない。会社の担当者は歯痒く思っただろう、家にいるのか会社に向かって来ている途中なのか、それとも会社を休むのか分からないと言う状況なのだから。
 そして丸一日の休憩を挟んで再びその球体、いや卵に変化が現れ始めた。まずはその中に浮んでいる卵黄、その表面に縦に一筋の線が走ったかと思うと次から次へと縦に横にと均等な間隔で線が走りそして増殖していく。
 その様は正に卵割。本来なら数日掛けて行われるそれはわずか数十分で完了すると、形を更に変えて数時間も経った頃には、すっかりそこには本来なら子宮の中でしか存在し得ない物、しょう膜と羊膜に包まれた胚が現れていたのである。
 そしてそこからは子宮内で起きる事がそのまま布団の上で繰り広げられた。胚が成長して胎児となり次第に人のそれに近い物となってくる、しかしながら良く見れば本来のヒトとは大分違う。本来なら消える筈の尻尾が残り顔の形も球形に近くはない、どこか突き出していてヒトの顔とは別物である。そして変化は進み、本来ならば10ヶ月前後を要するそれはわずか11時間で完了、体長50センチ程度にまでなって破水したばかりの生まれたてのそれは盛大な泣き声を上げた。
 その泣き声は隣近所全体に響き渡るものであったが、幸いにしてアパートにはまだ誰も帰って来てはいない時間の事。文句を言いに来られる事も無いまま、1時間ほど泣き付けた赤ん坊は静かになり、静かに眠りを貪り始めた。眠っている間も背は伸び筋肉がつき骨格が整っていく、そしてスライムに包まれてからおよそ3日が過ぎ去った時、そこにはあのスライムに包まれる前と同じ格好で、但し全裸ではあるが同じ格好をして1人の女が眠っていた。
 ただ姿は違う、そもそも人の姿ではない、体付きこそ彼女のままであるが、その体の表面は一部は黒で他は灰色と白が入り混じったフサッとした獣毛に覆われ、耳はピンと三角に立ち尻尾を持つ。そして鋭い爪と手と足の平には肉球を持つ獣、その顔は人でなく矢張り獣で、狼なのだろう。
 だが、そこにはまだ平穏だけがこれまでと変わらず残っている。そして布団の上では、何が起きたのか全く知らない1人の女の狼人が静かに寝息を立てて惰眠を貪っていた。
 そして翌朝、何も知らずに目を覚ました彼女は自らの変貌した姿にトイレにて座るまで気が付かなかった。だからこそ思わず上げる大きな悲鳴、ではなく獣の、狼の鳴き声はまだ浅い眠りに就いていたアパートの他の住人の目覚ましとなってしまった・・・。


 完
自作小説(一般)一覧へ
ご感想・ご感想・投票は各種掲示板・投票一覧よりお願いします。
Copyright (C) fuyukaze kitune 2005-2009 All Rights Leserved.