石像冬風 狐作
「センセー、さよなら〜。」
「あぁ、それじゃあ気を付けて帰れよ。」
 俺の名前は堀越真一、35才の私立高校勤務の美術教師をしている。今は学校内は夕日に包まれて人気は少ない、当然だろう何故なら今は夏休みであるからだ。正確には午前中を中心に夏季前期講習があるので生徒で賑わうが幾分少なく、大抵の講習は15時までには終わってしまいこの時間ともなると職員室と受験を控えている三年生以外は校内に残っていない。無論、それらの置かれている校舎は今向っている美術室の入っている特別作業棟とは逆の校門近くにあるので、グラウンドを挟んで一番隅にある特別棟周辺にはまず人は来ないので何とも気楽なものである。俺は鼻歌を歌いながら、グラウンドと川に挟まれた狭い道を歩いていた。
 特別作業棟の入口とは別に作られている非常階段を上り、そのまま3階の美術室へと立ち入る。鍵を閉めて部屋を横断し、美術準備室へ入るとそこはもう俺の城だ。そう公になっていないが俺は諸般の事情から校長から直々に許可を得て、この美術準備室で生活している。給料から多少の電気代とガス代を天引きされるだけで他に費用は掛からず、また美術室であるので水道やガスには前述したように事欠かない。十分生活が出来るのだ。その為俺は準備室の傍らに一人用の簡易ベッドを置き、生活に必要なものを最小限に限って配置しており、授業がある時だけ脇に寄せてそれ以外の時は堂々と時には美術室の方にまで範囲を広げて満喫しているのである。
 そしてもう1つ、俺がどうしてここでの生活を許されたのか?それには次のような事情がある。俺がいるこの特別作業棟は他の校舎からはすっかり孤立して、グラウンドと川、そして敷地の外には広大な田圃が広がっているので基本的に人気がない。昼間ですら授業が無い時には本当人気が無く、それ故にこの学校の暗部とも言える様々な事件の舞台となり、それ故その対策に歴代の学校首脳陣は頭を痛めていた。監視カメラを設置し、警備員を巡回させるだけでは駄目だとの結論を導いた現在の校長は密かに誰かをここへ住まわせて、住まわせるのと引替えに校舎の警備を担当してもらおうと考えていた。
 とは言え迂闊に得体の知れない人物を住まわせて居座られてはならない。なるべく素性が知られていて、話の通じる相手・・・として心当たりを当たっていた所に丁度、離婚によって家を失い車で寝泊りしていた俺の存在を知り、校長自らの依頼によって住んでいると言う訳なのだ。示された破格の条件の引替えとして俺は、この講師やとその周辺の警備を担当する事となった。
 幸い、教員になる前は自衛隊に数年間勤めていた経験も役に立ってその頃覚えた技量を頼りに、毎晩特に決まった時刻は決めずに数回巡回している。そして、不審者や侵入者を見つけた時、彼らに対しては校長からのもう1つの条件事を荒立てないという事を忠実に守るべく、俺独特の方法にて処理している。当事者にとっては不幸だろうが、俺は何とも感じない。むしろそれをする事に喜びを感じている始末である、呆れたものだが仕方がない。これは現実なのだ、忍び込んだ奴が悪いのだと俺は割り切ってそれに臨んでいた。

 そしてその日も深夜2時頃、その日二度目の巡回に出た。静まり返った校舎の中を懐中電灯と頭に巻いたランプの二つによる灯りで照らしつつ、愛用の棒を片手に一部屋ずつ丁寧に見回っていく。まずは屋上・・・異常ナシ、4階・・・異常ナシ、3階・・・当然異常ナシ、2階・・・異常ナシ、そして1階・・・異常ナシと言いかけた所で俺はある発見をした。そう1階の家庭科準備室の中からわずかな光と、人の声が漏れている事に俺はしっかりと反応して静かに歩み寄り、隙間から中の様子を窺い見る。
 中にいるのはどうやら若い男女、その内女の方はこの学校の制服を着ているのでその感じから恐らく校外の同年代の彼氏とここでいちゃついているのだろう。事に及んだ形跡は無いが、この調子なら遅かれ早かれ及ぶであろうと踏んだ俺はお手製の睡眠ガスの詰った缶をそっと手に取ると、隙間からその中へと投げ込んだ。
カラン!カラン、カラン!
「ちょっと、何これ!?」
 少し離れようと離脱している最中に缶の転がる音と女子高生の驚愕の声、そして聞き取れなかったが男の声が響いた。すると間髪取らずに響く排気音、すぐに2人の声は途絶えてしばらく排気音だけが響き渡り、ようやく静かになった頃合を見て今度は堂々と準備室へ踏み込んだ。窓を開けてガスを流し、一気に換気する。幸いにして今夜は風がそれなりに吹いていたので、すぐに吹き飛んだのを見ると窓を閉めて今度は2人を台車に乗せてエレベーターで3階の美術室へと運ぶ。
 その手の筋から入手した情報を元に俺が独自に再構築した睡眠ガスなのでその効果は絶大、あれだけの狭い部屋ですったのだから最低でも半日は絶対に眠り続ける。余りに効いているのなら2日は平気で寝るだろう、とその様な強力なガスを吸って健やかに寝息を立てている2人を第二美術準備室と俺が呼んでいる小部屋の中へ入っていった。

「さてと・・・始めるか。」
 台車からそれぞれを個別のベッドの上へ寝かせた俺は、その脇で石膏を用意し始める。見た所極普通の白い石膏であり、真にそうである。少なくともこの時点においては、そして捏ねて行きそろそろ終了と言う所である物をその上に極少量振り掛ける。それは乳白色の粉、別の如何にも古い壷の中より一つまみ手にすると、石膏の上に振り掛けて徹底的に万遍無く行き渡らせる様に混ぜて完成する。そうして完成した石膏を横にしてエプロンを付けた俺は、ハケを片手にまずは女の方からその全身へ均等の厚さとなる様石膏を塗り付けて行き、大体30分かその程度でそこには見事な仰向けに横になった若い女の裸像が姿を現した。
 知らない人が見たら言うだろう、まるで本物の様だと、髪の毛の1本1本に至るまで今にも動きそうだと・・・それは当然だ、何故なら忠実に女の体へ石膏を塗りつけたのだから当然の話なのだ。女へ塗り終えるとしばし放置し、今度は男にも同様に石膏を塗りつけてほぼ同じ時間で本物そっくりの若い男の裸像の出来上がり。かのミケランジェロの有名な男の裸像にも勝るかもしれない・・・技術力と言う点では、素材の悪さが災いしてとても勝ち目は無いが。
 さてこうしているのを見て俺が、その2人を石膏に塗りこめて殺したと思い込んでいる輩もいるだろう。それは浅はかな思い込みと言うものだ、そもそも彼らは死んではいない。勿論、鼻の中に至るまで石膏は塗りこんでおり、それで如何してかと思われるかも知れないが死んでいないものは死んでいないのである。詳しい事情は良くは知らないが、どうも最後の段階で混ぜるあの壷の中から取り出す粉末を混ぜると石膏は変質し、どう言う事か別のそれとは違う粉末をかけるまで完全に固まらないのだ。詳しい事は追って話したいので、まぁ見ていてもらいたい。
 一息ついて用意しておいたコーヒーを飲み干すとも第二ラウンドの開始だ。まずは矢張り女から、先程とは別のハケを数種用意して、その半熟の石膏を加工して行く。足りない所は途中で追加しつつ、俺は頭の中で思い描いた通りに手を動かし確実に進めていく。この瞬間の気持ちと言うか、何と言うかは何とも堪らない。刷毛の先を動かして一筋を付ける度に背筋がぞくぞくとして来るのだ。そして作業は1時間で終了し、俺はある者をその胸元に埋め込むと別の壷の中から銀色に輝く粉末を適量振り掛けてそちらの作業は終了。次に先程と同じく男にも取り掛かり、思い描いた形へ加工すると同様の措置を取ってしばし仮眠する。時間は朝五時過ぎ、もう朝日が窓から差し込んでいた。続きは後回しである

 そして昼頃目を覚ますと早速、どの様に成ったかを見に第二準備室へ入るとそこには2つの完璧な彫像がお目見えしていた。片方の手前側の彫像は女をベースにした物で、ふっくらとした胸の双球がそれを象徴しており顔に目を移せばそこには何と狐の顔、全身を見渡せばどう言う訳かあのふっくらとした尻尾が見えており、あの毛並みの別れ具合も微妙な調子で石膏上に色無しで表現されているのである。つまりそこにあるのは女の裸像ではなく狐獣人の裸像なのだ、それをさも満足そうに見詰めた彼が次に目を向けたのはあの男の裸像だった。
 まだ完成していなかったその彫像に、若干の手を加えて完成したその男の裸像は、何処か美しさと共に神々しさすら感じる狐獣人の裸像とは対照的に、禍々しさを覚えさせる姿。鋭い嘴を湛えた鳥の顔に巨大な羽、鋭い爪と取り特有の足の鱗を持つその肘と膝下・・・それは妖怪の一種としてその名を知られている烏天狗の姿に酷似していた。多少アレンジされているとは言え、それは烏天狗であり恋人であった女とは明らかに用途の違う事を示していた。
「中々のいい出来だな・・・まぁひとまず男の方からするか。」
 俺はかつて人間の男だった異形の裸像を運び出すと美術室の傍らに置き、何処からか丸い円柱を持ってきてその上へと立たせた。中々様になっているその像を我ながら感心して見詰めると、俺はあの棒を取り出してその目の前で縦に一振りし、続けてあの石膏の残りの中から出てきた液体の入れられた瓶を一かけした。
 すると突然、その液体の掛かった所から走る様に色が広がり瞬く間にその円柱の上には、ただ白いだけではない人と同じく肌色の皮膚に、黄色掛かった鳥特有の鱗、漆黒の羽と頭の羽毛に瞳を赤く、そして鋭く輝く鮮やかな黄の嘴を持つ烏天狗が姿を現した。あろう事かそれは石灰であるはがなのに動いている。その瞬間、俺は成功を確信して自信に満ちた声でその烏天狗に言葉を放った。

 俺の目の前の円柱に立つ狐人の裸像、俺はその前に造花だが一輪のバラの花を置いて腕組みをする。間も無くその裸像の表面には色が付き、硬い筈の表面は獣毛へと変化しわずかに流れるそよ風に流れる。すっかり純白の石膏像から生きた、この世にいる筈が無いのに目の前にいる生きた狐人は、円柱から飛び降りて俺の前にやってきた。二言三言に熱い抱擁をして互いを感じる、そして口付けを済ませたらもうやる事は決まっている。
 今は夏休みの最中の深夜0時過ぎ、何をやろうとも俺の勝手に出来る期間だ。そしてそこへ行く途中、ふと横目で外を見ると何か大きな物が中を滑空していた。烏天狗だ、いまやこの校舎の警備はあの烏天狗が一身に受け持っている。昼間は石膏像として第二準備室に保管され、時折美術部の生徒によってスケッチされるその石膏像は、夜ともなると優秀な警備員である烏天狗として活躍するのである。狐人も同じで昼は同じくスケッチ等の対象となるが、夜は美術教師堀越真一の夜の相手として毎夜その身を二人で焦がすのだった。彼らに記憶はない、人として生きていた頃の記憶はない。
 ただ求められた事に従うのが彼らの第一の本望であり義務なのだ。そして今日もどうやら侵入者がいたらしい、烏天狗が何やら激しく動いている。さてさてどう料理しようか、以前の様に普通の犬猫にして小金に代えようかそれとも・・・楽しみつつ、頭は別の事でも回転していた。


 完
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