とある学生生活・第2話・小瓶と来訪者 冬風 狐作
 季節が過ぎるのは早いものである、最もそれを感じるタイミングとは人により様々であるから一概には言えないが高鍋にとり、それは大抵自らの体の変化から感じ取るものであった。
「あーもう、幾ら掃除しても追い付かないなぁ…ってもう掃除機が満杯か」
 人と獣の間の種族、と言える獣人に分類される彼にとり矢張り居心地の良い姿となるのはその姿、即ち狐の獣人として毛並みに尻尾を露わとした姿であって鍵を閉じたアパートの自室の中では専らそうして過ごしている。
 故にどうしても抜けた毛が部屋の中にたまってしまい、時には舞ってしまう。無視してしまえば、とも言えてしまえるがここが悲しいところで彼の種族である狐人はこの手の事にとても敏感、言うなれば清潔好きな傾向が強い。だからどうしても無視し切れず、家に居る時は程度の差はあれ何かと手を入れては整える事に満足感を見出さずにはいられなかった。
 掃除機の中身を取り替えつつ高鍋は大きくあくびをする、狐らしいその大きく開いた口の中には長い下と鋭さのある歯牙が見えて仕方なく、およそ10秒ほどの間はそのままでいるもの。それでも手は上手い具合に動き続けていて、口を閉じて首を軽く振って調子を軽く整える時にはほぼその作業は終了していた。
「うーん、今日の気温は10度いかないのか。毛並みのない人間よりはマシだけどやっぱり寒い、ふう」
 部屋の掃除をしながら流しっぱなしにしているラジオの天気予報に対し、高鍋はそう独り言を返すと立ち上がってはゴミ袋のある場所へと向かう。そして手に掴んだら玄関の外、もう扉を開ける前から寒さの染みている空間でサンダルを履くなり鍵を外して外へと至る。

 勿論、その姿は獣人のままである、ふっさりとした冬毛の狐族らしい丸みのある毛並み。それを身に纏う服の間からあふれさせながら階下のゴミ捨て場へ行けば、階段の格子の隙間から吹き込む風の音に三角の狐耳が軽く反応しつつ、となる。
 人の耳には単なる寒風の音、としか取れなくても音を聞き分ける事に長けている狐族にとっては様々な情報を含んだ有益なものとなる。例えば今、その耳を経て彼が感じたのはかなり距離の離れた場所にいる獣人の気配、それは恐らく鼠族で何か食事をしている、とまで把握しつつ、また自室に戻る階段を登り出す。
 かつて獣人族がそれぞれの種族の特性に応じて、人目を憚らずにいられた時代にはそれ等の能力は大いに役立った、生存するにあたり不可欠であったと言われている。しかし今は時代が違うもの、種族的には特性の弱い人間が、言うなればそれこそが彼等の特徴なのであろうが「技術」を以って土地を制覇した今となっては、それを大っぴらに表に示す事はよろしくない、とされているから多くの獣人族が人の姿に化ける事によって人間に混じって生活している。
 最も深山幽谷とも言える様な人気の少ない地域においては林業等の分野において、人間よりも獣人の方が身体的な特徴から適している、とされているので人間の方が肩身を狭い思いをしている場合もある。しかし、今やそれはあくまでも例外に過ぎない。高鍋にしても自室やアパートの敷地内、あるいは獣人同士でいる時等は今の様な狐人の姿を取るが、そうでない多くの日常の場ではその豊かな毛並みや尻尾を隠した人間としての姿で過ごしているものだった。
「こんにちは高鍋さん、良いお姿ですねぇ、あったかそうで」
「ああ、こんにちは。いやぁそれでも寒いものは寒いですって」
 間もなく部屋に戻りかけた際にはご近所さんとすれ違う、そちらは純粋な人間であって対して獣人に対してそれほどの偏見を持っていないのが幸いな女性であった。寒がり、と当人が言っている通りに今日も分厚いコートを身に纏っている姿を狐の金色の瞳は微笑んで返す内にまじまじと見つめてしまう。
 軽く雑談してからそれでは、と辞去して戻る自室の中は暖房の効果もあって暖かい。最も、少しだけとは言え体を動かすと途端に血が体に巡るものであるから高鍋は暖房の設定を弱めにして上に来ていたシャツを脱ぐなり座布団の上へと身を投げ出したのだった。

 その転寝から彼を目覚めさせたのは玄関のチャイムの音であった。時計を見ると納得の時間、シャツは脱いでいるがズボンは履いているから大丈夫、と言わんばかりの具合で彼は起き上がるとまた寒さの漂う玄関へと向かい、ドアの向こうで待っていた存在を迎え入れて鍵をかける。
「いやぁいらっしゃい、寒かったでしょう。コートならその壁掛けを使って良いから」
 先に奥へ通してコートを脱ぐ場所を探している相手に高鍋は言葉をかけながら戻っていく。人間で言うなら半裸であるが狐の毛並みがその印象を大幅に減じさせてくれる彼に対し、それこそ見たところ人間の姿をした相手は微笑んで返し大きく一息を吐いて来る。
「それはもう、あー寒かった…けど楽しみな事の為なら、ね?」
 微笑みに続く言葉はそれだった、なるほど、それならば、と事情を分かってはいる高鍋も釣られるかの様に笑みを浮かべて投げかけてしまう。
「でしょうでしょう、まぁすぐに?それとも少し一休みいれてからにしようか」
「どうしようかな、まぁ体があったまったらお願いしていい?」
「もちろん大丈夫、そうしよう」
 彼は暖房の設定をやや元に戻す、それは人間である来訪者に対する配慮とも言えるだろう。肝心の狐としての身では寝入って暖まっていたのもあり、そこまで必要性はなかったがもてなす、との観点から見ればそれは当然なものだった。
 それからしばらくは雑談をして2人は過ごす、適度に暖まった部屋の中で机を挟んで他愛もない事を交わしあって、用意されてお茶を飲み干しあった辺りでようやくコトは本題へと移る。
「さてお待ちかねとも言えますが…お願いしても良いのです。本当に?」
 高鍋が持ってきた物を目の前に差し出された来客はそれを見て問い返す、その瞳には期待感と幾らかの疑問がたたえられているのが明らかなものだった。
「大丈夫です、何よりもその為の今日でしょう」
 高鍋の狐の口はそれを強めの口調で肯定する、何もためらう事はない、との問い返しを暗に意識しながらの響きにはより強い笑みが続いた。
「そうですね、ええ、その為に今日、ボクは来たのだし…」
 狐の毛並みに包まれた手から直接受け取った小瓶、そのラベルへと目を落としながらの言葉はとても高鍋としては美味しさすら孕んでいるものだった。どうしてそうした感じ方をするのか、となればある種の強い立場にいるのを自覚しているから、とも言えるだろう。即ち、今、面している相手に対して高鍋は指図をする立場にいる、それは獣人的な感覚で言えば捕食する側にいる、と言い換えるだろう。
 よって小瓶を高鍋から渡された相手は捕食される側、となる。それも自ら望んでその立場になったのを重々に承知しているからこそ、その場の空気と言うのは自然と固まって行き、今やその名を純一と言う相手が矢張り要らない、と言い出せる環境は全く以って見出せないものになっていた。
 だからちょっとした刺激が予想以上に大きな動き、それは当然されるべき予定された未来であるが、そちらに向けて一気に動ける展開を生むものとなる。そう、しばらくの沈黙、そして高鍋の一言がそれだった。単にそれは一言の問いかけ、それが小瓶をじっと見つめて何かと思索を巡らせていた純一の中にたまっていた欲求的な積もりを一気に破裂させて実行へと突き動かせる。
「もうするしかない…飲みます、獣化薬」
      その決意表明は高鍋の狐の口を今までになく歪ませて、目を爛々と輝かせる効果もまた併せ持っていたのだった。
「じゃあ、服は一応脱いだ方が良いね。初めてだし、純一、君がどう言う姿になるかは流石に分からないから大事を取った方が良いよ」
 それだけにそのアドバイスのまともさとの不釣り合いさがとても目立つ。
 もう楽しみで仕方ない、それに満ち満ちた捕食者たる獣人の笑みは、それこそもう狐に限らず獣人全般を忌む一部の人間達が嫌う理由の一つとして必ずと言って良いほどに挙げるものなのだから。しかし高鍋にそれを関している気配がなければ、今や決意したばかりの純一がそれを抱いている訳がなかった。そう彼は自ら人間である事を捨てる為に今この場へと来ているのだから、当然となればその通りなのであった。


 続

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