一泊の癒し 冬風 狐作
「間も無く1番線より最終電車発車しまーす、本日の最終電車です。お乗り遅れの無いようお急ぎ願いまーす!」
 駅員の叫ぶ声がスピーカーで構内に響く、それに煽られる様にエスカレーターを駆け上がる人々の姿と足音。そして再度流れる同じ内容の放送と発車ベル、ドアの閉まる音・・・。今日もこの駅から最終電車が何時もと変わらぬ様子で発車して行った、車内を見ればドアの際で息を切らしている者もあれば大口を開けて眠る者、酒臭さを漂わせる者と様々な姿を見渡せられる。
ウィーィィィ・・・ガタタン・・・ガタタン・・・
 ようやく発車したその車体、そしてその低く唸るモーター音にレールの継ぎ目を乗り越える音・・・かすかないびきすらも漂う車内を載せて、電車は外見は普段と変わらぬ様に深夜の街を走り去る。対向の列車はもうこの時間には無くただこの電車だけが勢い良く、静かな鉄路を震わせては風を切り停車する駅駅をその度毎に賑やかにさせ静かな郊外へと走り抜けていた。
「この電車は最終電車です、なお本日上り電車の運転は既に終了しておりますのでお乗り過ごしのございませんよう・・・。」
 発車したばかりの駅の賑わいぶりとは対照的に車内は次第に静けさが増していく、そこには注意を促す車掌の放送が再三流れるが果たしてそれは必要とされる人々の耳に届いているのか。そしてちょっとした悲喜劇を各車両にて時折繰り返しつつ走りに走り・・・上り線を走る黄色に色塗られ保線作業員を鈴なりにぶら下げたモーターカーとすれ違う時には、もう時計の針は新たな一日の一時を回っていた。
 ようやく都心からやや離れた終着駅に到着したのは更に時計の針が進んだときであった。本来ならこの路線の電車はまだ数十キロも先の郊外の駅まで走るのだがこの電車は最終電車、始発電車と対となって一日一往復のみこの駅を始終着とする特別な電車である。
 そして乗客は誰であろうとも・・・この先の駅が下車駅であっても例外無く、全て一様に下ろされ改札の外へと車掌と駅員の連係プレーによって誘導される。そこから先は乗客であった人々次第、電話をかけて或いはあらかじめその事を承知させておいて家族に迎えに来てもらう者、タクシーに乗る等して立ち去る者、自転車・バイクそして歩きと様々な手段をして殆どの客はもののしばらくもすれば駅前の街頭から姿を消す。
 そして静けさと暗さとを取り戻した駅は当直の駅員に清掃員、客待ちタクシーと酔っ払い、そして交番の警官以外は特に人の気配もない中で静かに始発電車まで眠る。一見すると動きのないその中で唯一動きがはっきりと感じられるのは風、そして舞う落ち葉のみだった。

 神無月も終わり霜月、風も涼しいどころか冬の色合いも濃厚になり始めたある日、普段と同じく賑わいそして賑わいの去った駅前に数テンポ遅れる形で構内から1人の女性が閑散とした駅前に構内から姿を現した。わずかに酔った顔色をしつつのんびりと歩く彼女の名前は玉田美咲、この駅から更に10駅ほど離れた郊外の駅から都心へと通う会社員である。
 よってこの駅には基本的に縁がある訳も無く、また独身であるから待つ人などいる筈もない、だからこそその足はタクシー乗り場へ向かうかと思えば向かう事無くむしろシャッターに沿って歩き始める。そしてやがてはガードの下へ折れ反対側の駅前広場を横切るとしんと静まり返った町の中へ、そしてとある裏路地を曲がる。
 曲がった先の裏路地の暗さはまた素晴らしく濃い。人工の灯りはおろか上部には蓋される様に並途端の屋根がかけられているから闇その物、とても一人では・・・例え男であっても何らかの用事があって通らなければならなくとも、せめて懐中電灯が無ければご遠慮願いたいと思えるほどのレベルで狭さと共にどこか息苦しい。まるでその空間の闇が強く凝縮されて本来あるべき量よりも多いのか、そんな勢いでいるだけでその闇に全てを乗っ取られてしまいそうな装いだった。
 しかし彼女はどこにも臆する色示す事無く、むしろほっとした顔つきでその闇へ分け入り平然と数分闇に染まり奥へ奥へと行く。途中にあるL字型の角も難なく通り過ぎるその足取りはすっかりお手の物、どこにも不慣れな色は見えず・・・ようやく現れた小さな傘の壊れた蛍光灯の下に全身を照らし出される。流石に光の下、大いに安堵の顔をして歩調を緩めるのでは・・・と思えるだろうが、そんな事はない。顔色一つ変えないでさっと通り過ぎると・・・何時の間にやら正しく姿を消した。闇の中にある雑居ビルの裏口の中へと立ち入ることによって。

「いらっしゃい、またきたわね。」
 扉を開けるとレジに座っていた中年の女が愛想良く挨拶をして迎える、ようやくそれに顔を緩めた彼女は取り出した財布を手にしてその前のテーブルに手をかけて足を止めた。
「また残業で・・・今日も一泊出来ますか?」
「あぁ出来るわよ、何時も通りで良いんだね?」
 美咲が何時の間にやら財布から取り出したカードを見ながらおばさんはにこやかに答えた、どうやらここは宿の様らしい。そしてうなずいてしばし気安い口調で会話を続けると、カウンターの中から取り出したカードキーを手渡しておばさんは言う。
「はいよ、5番だね。」
「わかりました、それでは。」
 美咲は何かを期待する笑みを浮かべると床に置いたかばんを手に取り、さっと脇にある扉をくぐると更にある扉を無視して再び折れて階段を駆け上がる。狭く薄暗い紅い絨毯が張られ赤い壁の急な階段、それを登り切った所の扉。その先には新たな廊下が続いて当然階段と同じ赤で彩られており、幾つかの扉が壁に設けられているのが見て取れる中を更に進む。
 そしてその中でも奥まった所にある「5」と書かれた扉の前で立ち止まり、おもむろにカードキーを使って開けると中へと入った。部屋の中は矢張り紅くベットと2つの籠に物干しが1つ、そして入ると自動的に閉まると共に鍵がかかる扉をそのまま閉じさせて・・・空の1つの籠の中にカバンを、そして着衣を物干しのハンガーにかけ、すっかりその肌を全て露出させるのに然程の時間は要しなかった。
 すっかり一糸纏わぬ姿となると美咲は大きく背伸びにあくびをしてベッドへ向かう。ただしそうするのはその前にもう一つの、こちらは蓋のつけられた籠の中から小さな袋を取り出し開封し中身を口に入れてからの事だった。その袋の中より手の平に出された中身は黒い錠剤の様な物、それを口に全て含ませて噛み砕いて飲み込むと共にベッドに横たわり瞳を閉じる。
 まるで全てが赤で構成された世界の中ではその白い肉体は浮き上っているかのように場違いで、そしてほんのりと淡く紅く優しい。その中で次第にその吐息は寝息へと・・・意識しない力の抜けた体の欲するままの音と間隔へ移り変わるのだった。

「ん・・・。」
 その寝息に軽い寝言のような音が混じったのは何時の頃だろう、ふと何の前触れも無くそう寝息とは明らかに違う音が混じったのは大分になろうかなるまいかと言う時。見ればその白い体はかすかに振れて輪郭では白と赤とが混じりあいぼやけている。そして寝息と寝息でない吐息の混じりも深まっていた。
「ん・・・あ・・・あぁ・・・。」
 深まっていた吐息の混じりは今や後者が優勢となり彼女は喘ぐ、目を覚ます事無く体を揺らめかせながら口からは喘ぎを漏らし大きく息を吸っては吐いて眠っている。表面にはほんのりとした輝き、それは汗・・・汗腺より染み出でた汗は皮膚を覆いふれたベットの赤を濃くする。ベッドの上は布地、その上で軽く悶えそして縦に痙攣すると変異は余計に・・・目に見える形であらわとなった。
 目に見える変異があらわとなったのは矢張り口であった、不意に開かれた口の中。静かに様相を、これまでにはない動きと異に変えて静かに深く吐き出される息と共にその中から何かが姿を現す。それは舌ではない、舌よりも細く柔軟でか弱い有り触れてそして有り得ない物。それは若い黄緑・・・植物の芽、良く見れば舌の中ほどに根を張り食道の中へと根を太く伸ばしたそれは見る見る間に伸び始める。
 その姿は蔦のごとく、口から生え出でたそれは幾つにも枝分かれして下顎上顎首筋・・・何時の間にやら鼻腔からも出でた蔦と交わり、他にも耳からも出でたそれらと共に頭そして全身を覆い隠して無数の葉と蔓の下に体を隠し埋めさせた。ただ双球の頂点・・・乳首のみを残し全てを緑の下とし根を張りその色は次第に濃くなって。
 唯一覆われるのから逃れた乳首、だがそこもまたそのままではいられない。目には感じられないかすかな振動を示すと次第に硬化し同時に垂直に伸びてそれは幹となる、細長く伸びた乳首であった緑色の2本の柱からはほぼ同数の葉が芽生えてイメージするならばそれは野に咲く背の高く細い花。姿としてはヒメジョオン・・・そう言えばイメージが明確になるだろう、すっきりした幹、いや茎とさっぱりした葉の配置そして小さく幾つもの花を頂点付近に瞬く間に咲かせては、人の形をした蔦の中に凛と一対となって鎮座していた。緑は蔦も花も生き生きと、花は堂々として全てが静かに整っていた。

 しばらく鎮座する一対の花、やがてそれは次第にまるで肩を寄せ合うかのように斜めとなり花同士が複数接し花粉を付け合う。それが終わると共に互いに互いを庇い従い・・・萎れ倒れる、その頃には蔦の葉もまたやや生彩にかけて所々が欠けつつあった。そして何よりも人の体としての厚みが頭や爪先から次第に崩れ、ただ上から見た形としてしか人の肩をなしてはなくなっていたのだから。
 それらは美咲の肉体から生じた以上、美咲の肉体は土であった。そして養分・水分の源であった・・・しかしそれは限度がある、無限ではないだからこそ薄い爪先などから次第に崩壊消滅して蔦も後を追う、あの一対の花は胸をその源としていたからだろう。あの厚みのあった胸はもうない、扁平と化して予期され示されている未来を次第に受け入れていた。
 一方その中で唯一下腹部に当たる箇所は大きく膨らみ・・・全ての養分などの類が集中してしまったかのように、それこそ玉のごとく膨らんでいる。そして時折脈打ち葉をざわめかせると割れ目より一際太い茎が伸び始め・・・それは然も全ての始まりの口から伸びていた新芽の如くではあるが、新芽の様な若々しさと一体であるひ弱さは無く一種の熟練と安定を見せた太い茎だった。
 そして割れ目から5センチほど斜めに伸びると止まっては先端を膨らませる・・・下腹部の膨らみを吸い取り転移させる様に膨らみ、蕾と化す。そしてその蕾は大輪の花を・・・薔薇と言うよりも椿と言った感じの純白の花を中から溢れさせて役目を終えた。そして大輪の花もその大きさゆえかそうそうに衰え始め、純白自体はほぼそのままにわずかに裾を茶染めて首が落ちるように花だけが落下し後に続き・・・それまでだった。

 だが花はただ単純に落ちて何も残さなかったのではない、花の跡には巨大な膨らみが姿を見せておりはちきれんばかりになって・・・耐え切れず弾け中身を示す。部屋の壁にかけられた時計の針が午前6時を示すと共に膨らみきった膨らみは弾け、中からは種が・・・そう中身である"種"が零れ落ちた。枯れて一応は人の形に萎び切った蔦、その上に散る花びらと種を包んでいたやくの上に零れ落ちた"種"は白く・・・長い黒髪をした胸に膨らみを持つ女性。
 その顔は・・・寝息を立てる顔はあの美咲・・・零れ落ちた中身は種ではなく人間、そう全裸の美咲であった。種の代わりに中に入っていた彼女はしばし眠る。そうして午前7時の針の音と共に目を覚ますと立ち上がって、竿にかけたハンガーより服を手に取り身に付け、カゴの中より鞄を手に部屋を出て昨夜とは逆に階下のレジへと戻る。
「おはようございます。」
「おや時間通りだね、よく休めたかい?」
「えぇお陰様で・・・幾らですか?」
「今回は5時間半だから、3000円だね。」
「はい、ではこれを。」
「ちょうどだね、じゃあはいレシート・・・気を付けて行って来るんだよ。」
「はい、それではまた来ますね・・・ふふ。」
 そうして美咲は慌しく店を出て行った、ここは彼女にとって最高の癒しを与えてくれる場所。ここがあるから彼女は仕事を頑張れているからの様なもので、終電に乗った時は必ずここで一夜を過ごす事にしている。終電に乗るまで仕事をしている時が大半だが、時には無理矢理仕事を溜め込んで帰るのを無理矢理遅くし寄る様に仕向ける事もあるほどであった。そして彼女が今夜もまた来るかは、その時にならないと分からない。


 完
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