オーダーメード冬風 狐作
カチッカチャカチャ・・・
 雑然とした薄暗い小部屋の中にキーボードを叩く音が響く、デスクトップの光がぼんやりと部屋をその前に座る者の影を抜いて妖しく灯していた。
「これでいいのかな・・・。」
 キーボードを叩いていた男は打ち終えると、やや心配そうに数回に渡って打ち込んだ文章と添付ファイルを確認してカチリと送信ボタンをクリックした。
『送信は完了しました。』
 音も無く送り出された電子の手紙が正常に送り出されたと表示された画面を見て、彼はホッと一息ついで脇に置いてあったカップを手に取り口へと運ぶ。中に入っていたコーヒーはすっかり冷たくなっていたが、彼の心の中は安堵と期待でほんのりと温かさを保っていた。

 それから数日後、仕事から帰宅した男がメールをチェックすると一通のメールが届いていた。
『予備製作の方、完了致しました。』
 待ちに待っていたその件名を見た彼は心を躍らせて、素早くそれをクリックした。その中には幾つかの長い文が書かれていたが簡単に斜め読みして飛ばすと、下のほうにあるリンクを開いた。開かれたリンクの中には彼自身の全身写真を左に、その右には黒と黄色とで彩られた直立二足の謎の生き物の写真が並立して並べられていた。
「おっ・・・予想以上の出来じゃないか・・・文句無しだよ。」
 その写真を見た彼は顔をほころばせて、しばしその姿に魅入った。彼の注文した物、それは自分の背丈に合わせたファースーツ、直訳すれば獣の着ぐるみである。獣好きである彼は、獣と言う存在を始めて知った頃からそう行った物を欲し強い憧れを抱いていた。しかし、その当時の彼は学生の身分で金も無く時間もある様でなかった為にいつかは・・・と言う思いを胸にして日々を過ごしてきた甲斐あって、ようやくそう言った物に手を出せる身分となり財力も付いてきたので、いよいよ積年のその夢を果たそうと動き始めた。
 最初に作った着ぐるみは犬を模した物であり、雑多な作りではあったが彼は彼なりにすこぶる満足して、暇さえあれば常に中へ入っているそんな有様であった。だが、ある時知り合った獣仲間の自作した着ぐるみを見て、彼はその精巧な作りに目を見張った。縫い目や凸凹が目立ち、お世辞にも上手いとは言えない自分の物と比べるとその着ぐるみは、あたかも自然であるかの様に全てが収まっており、同じ犬をモチーフとした物であっても石炭とダイヤモンド並の歴然とした差が存在している。
 その場では表向き平静さを装ってやり過ごした彼であったが、心中ではどうすればあのように上手く作れるのか・・・という思いが重く広がり帰宅すると、早速情報を集めて上手く作れる方法を懸命に探し、試行錯誤を繰り返した。
 その結果、彼が作り出した2つ目の着ぐるみは前作と比べると相当改善されており、やれば出来ると自信を付けた彼は3つ目、4つ目と次々にその度に進歩させた着ぐるみを作っては楽しみ、また作ると言うパターンが定着化していた。
 しかし、作った後に問題にはまっていた。着ぐるみと言う物はその性質上、例えそれが1つしかなくても保管するにはそれなりのスペースを必要とする、特に彼の済む狭い家では致命的な問題であり、10体を越えた今家の中にはそこかしこに着ぐるみを詰めた箱が置かれて場所を食べ、次第に彼自身の生活に支障が出てくる始末であった。その現状を打開すべく一時作るのを止めて対策に乗り出した彼であったが、何としても着ぐるみはいざと言うときの為に身近に置いておきたいとの気持ちを乗り越える事無く、また作りたいと言う願望と何とかしたいと言う気持ちに板挟みになっていた。そんな時、彼はネット上の獣着ぐるみサイトにてラバースーツなる物を知った。
 ラバーとは薄いゴムの皮膜の事で加工がし易く、それでいて丈夫で折り畳みも出来るので収納も楽に出来る素材である。そして、その特性ゆえに個々の体型に合わせた真に自分だけの着ぐるみを作る事が可能であり、人の体型をそのまま出せよりリアル感が出せる事から、従来からの着ぐるみとは一線を画した代物であると言えよう。

「これは欲しいな・・・。」
 それを見た時、彼は思わず子供の様にそう呟いていた。そしてすぐにそのサイトにて紹介されていた幾つかの製作サイトを見て回り、その内の気に入ったとあるサイトにて自分自身のプロフィールと全身写真を添えてメールを送信したのであった。
 それが冒頭のシーンであり、彼が希望した獣は黒と黄色の西洋竜であった。これまで犬や猫と言ったペット的な極身近の着ぐるみを多数自作してきたものの、以前より竜の着ぐるみを我が物とする事に憧れており、その際には最高に仕立てたいと考えていた。だが、通常の着ぐるみではどうも上手くあの質感が出せず、思案していた所に転がり込んできたラバースーツ・・・これは天賦の恵みと言っても彼は過言では無いと感じていた。
 そしてしばし、その完成予想図を見た男はマウスを動かしてその下にある『正式発注』と書かれたアイコンをクリックした。すると画面が切り替わり、表示されているブラウザの中には1つの大きな黒丸が浮かび上がった。
"何だこれ・・・ブラクラな訳無いし・・・。"
 彼は少し躊躇して黒丸を押さないでいたが、その下のテキストには黒丸をクリックする様にと書かれていたのでワンクリックをする。途端に彼は不思議な感覚に襲われた、黒丸が回転を始めて次第に大きくなったかと思うと、それはデスクトップの枠をはみ出して自分を包み込む・・・。幻覚かと思う間も無く彼は本当に巨大化していた黒丸に飲まれ、すぐに収縮した後のその部屋から彼の姿は忽然と消えていた。画面上の広がるかのように見えた黒丸の動きは幻覚ではなかった、全て事実なのだった。

「いらっしゃいませ、お客様。」
「え・・・ここは・・・?」
 目を覚ますと同時に彼は挨拶を持って迎えられた。金属の椅子に座っている彼は、手足を椅子と一体化している丸い金属の枷で止められて一切の身動きをする事が出来ない様になっていた。しかし、何が起きているのか、全貌を掴みあぐねてキョトンとしている間もその声は続いた。
「私はお客様をサポート致しますサポートロボット901号です、どうぞよろしくお願い致します。」
「あっはい、どうもどうも・・・。」
 彼はその明瞭かつ無機質なロボットの声に普通に応えていた。だが、ロボットはプログラムされた通りに事と話を進めて行った。
「ただいまより、先程お客様がご了承致しましたラバースーツの製作に入らせていただきます。迅速かつ精巧な仕上げが出来ますよう、こちらの指示をご理解の上ご協力下さい。では、始めます。」
 機械的な口調で言い切ると、わずかな衝撃と共に椅子が後ろへと下がり、一台の西洋梨を大きくした様な機械の中へ入って止まる。幾つかの金属音で完全に椅子が固定されると、唯一目の前にあった機械の外との出入り口が上から降りて来た鉄板によって閉ざされた。
「それでは、只今より開始いたします。」
そう言って声は完全に途絶えた。低い機械音が幾つか響くと自動車工場等で、車への塗装に使われる様な機械が複数、彼の周囲へ姿を現した。それらは互いの位置の間を微妙に取るとそのまま固まり、静かな時間が一瞬その場を埋め尽くした。
 永遠かと思うようなその時間は、その機械より噴き出された黒い液体によって壊され、瞬く間にその全身は黒く染め上げられていく。最初は水の様に流れる液体ではあったが数秒の内に乾いて、薄い膜となって皮膚に密接しどこかくすぐったい。まるで皮膚と一体化した、そんな感触が不思議と感じられていた。
 外から見れば人の形をしたチョコバーの様になったその表面へ更に液体がかけられて行く。黒い液体が何重にもコーティングされる均等な厚みと反射を持つとその動きは止まり、今度は別の機会が姿を見せた。その機械の先端は二股に分かれてマジックハンドの様な物が取り付けられていた。動き始めた機械は、まずそのマジックハンドの先端で顔の下顎と上顎を軽く掴むと、前へ向けて強く引っ張り太い嘴の様にすると、その間を中へと押し込んで次第に口としての形を整えていく。
 体の他の箇所も含めて形が整えられると、再び先程の噴き付け機が登場し、黄色い液体を全身ではなく一部へ形に添って寸分の狂いも無しに丁寧に塗って下がった。それらの一連の工程は製品作りというよりも子どもの粘土遊びの様な感じが見受けられ、その人体を基にした壮大な粘土遊びの果てにすっかりそこにいる物は原形を留めてはいなかった。

ウイィィーン・・・
 機械の扉が開き、椅子が外へと出てくる。当初の定位置に止まると枷が外れて束縛は解かれた、いまや椅子に横たわるその異形の姿は、うっすらと目蓋を開け青く爛々と輝く眼を漏らす。そして立ち上がったその姿は前3後1の指数の足、4指の手、スラリと細いその体の骨は太く筋肉も付くべき所に相応しいだけしっかりとある。
 尻からは長く均整な尾、太くがっしりとした首に前を見据えた鋭い眼光と尖った口、長く左右へ根元から分かれる様に広がる長い耳と後へ伸びる片方4本計8本の角、そして背中より生えた大きく畳まれた翼、黒い体に内側と角、皮膜の黄をアクセントとして輝くその体は人では到底無い。彼が夢にまで見た、そして魅入ったあの西洋竜、竜人が1名そこに立っているのであった。
「お気に召されましたか?お客様。」
 久方ぶりにあの機械的な声が響いた。
「あぁ、申し分無い・・・素晴らしいとしか言いようが無い。」
 その動かされた口から漏れてくるのは彼の声であった、戸惑っている様子は無くすっかり悠然として落ち着き払っている。
「それではごゆるりとお楽しみ下さいませ・・・ここがあなたのこちらでの家であり、あちらとの出入り口である事を忘れずに・・・。」
「了解した。」
ガゴン・・・ギィィィィッ・・・
 金属の軋む音と共に半円形の目の前の鉄の壁が左右へと分かれる、その奥からは言ってくるのは柔らかな太陽の日差しと目に溢れる輝かしい自然が眼下に広がっていた。
ブァサッ・・・バサバサ・・・
"リアルな質感溢れる着ぐるみが欲しい・・・。"
 彼の夢は叶った、リアルな質感溢れる着ぐるみ以上の物を手にした男は1人、見知らぬ世界の空を気持ち良さそうに背の翼を羽ばたかせて飛んで行った。何かを探して、何かが自分を彼方から呼んでいるのを無意識に感じて青空の中へと点となって溶け込んで行った。


 完
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