美術室冬風 狐作
「じゃあ道子、あとはよろしくね。」
「うん、わかった。それじゃあまた明日ね。」
 片田舎の一角にある私立高校、進学校として名を馳せる反面県下一の奇人変人の集まる高校としても知られるこの高校の始まりは古く、期限を辿れば江戸時代に設立された私塾にまて遡ると言う。それだけ歴史があるのだからその実績も並大抵の物ではない、単位制やら何やらでこの所人気を集めている設立数十年の公立高校とは格が違うのだ。
 星野道子は美術部に所属する進学科の2年生である。付属中学からの進学組であるのでその学力は指折り付であり、先日の模試でも全国レベルでかなり上位に食い込んでいた。そんな彼女には学力とは別にある特技があった、それは絵の腕前。昔から絵の書くのが好きな少女であった彼女の腕前は中々のもので、高校一年にて参加した全県レベルでの総合文化祭では初参加ながら入賞と言う成績を上げており、こちらの方も別の面から注目を集めていた。
 道子の描く絵は風景画等ではなく人物画、それもどこか現実離れしたファンタジー的な要素をふんだんに含み、それでいて感じられる妙な現実感が特徴であった。そして今日も彼女は1人美術室に居残って絵を描く、学校単位で参加するコンクールとは別に彼女が個人的な興味で参加するコンクールの締切が迫っているからだ。
 エプロンを締めていつも通りに道具を用意しデッサンの仕上がったキャンバスを前にして始めるのかと思いきや、道子は立ち上がると部屋を横断して準備室とは別の部屋の扉、その先にあるのは単なる利用されていない埃の積もった倉庫、そこへ入ると彼女は部屋の隅の壁へと掛けられている梯子を登り天井へと手を、天井にある人一人が通れる程度に金属で囲われた扉をノックしすぐに梯子を降りて下で待つ。すると軋んだ音と共にその天井の扉が独りでに開き、そして何かが飛び出してくるまるで風の様で素早く姿は見えないが埃が舞い上がるので床に着地したようだ。
「やぁ久し振りだね。」
 埃が落ち着くと共に声が響く、道子の声ではない低い男の声、元気の良い声。見るとそこには声と同じく見るからにして快活そうな髪を短く刈り上げた少年が1人、道子を見て立っていた。
「本当久し振りね・・・総文祭の前以来だから、半年振り?そんなにはいっていないか・・・。」
「まぁそうだね、細かい事は抜きにして久しぶりにあった事には変わらないね。で、今日は何のようだい?」
 すると道子はホッとしたような顔をして口を開いた。
「あぁあのね、またモデルを頼みたいんだけど・・・。」
「いいよ、今度はなんだい?前と同じ様な感じ?」
「いや違うわ、まぁコンセプトは同じだけど違うわよ。まぁ来て見て、大丈夫私以外にはいないから。」
 そうして道子はその謎の少年をつれて倉庫から出て来た、何時の間にやら外はすっかり暗くなり雨の音が部屋中にこだましている。美術室自体に限り屋根はスレート葺きなので音が酷い、倉庫や準備室はコンクリート造りなので音は特に聞こえないので全く気が付かなかった。
「雨か・・・凄いね、台風?」
 少年が聞く。
「うーん、ちょっと違うわね。台風は来ているけど途中で前線を取り込んじゃったらしくて、これだけ激しいけどまだ前座なんだってさ。はい、これ読んで。」
「ふーん、そうなんだ・・・あぁこれだね今回のは。じゃ早速・・・。」
 そうして受け取った少年は机の上に腰掛けると真剣な面持ちとなって手渡されたノートのある1ページを読み始めた。そのノートは道子のネタ帳、絵のネタ帳である。普通そう言ったことは頭の中に蓄えるのが普通であるが、一度考えた事はそのままに残しておきたいと言う考えの道子はわざわざそれを普段から持ち歩き、少しでもイメージが浮んだり何らかのモチーフとなりそうな物を見たりすると場所を見つけて必ず書き留めておく様にしている。
 前回入賞した絵もその様にして書き止めて置いた物を具体化させたものであった、そして幾ら書き留めておいても時間と共に薄れて行き、正確に書き表せない色などの視覚的イメージを補うのがその少年であった。彼女には覚えが無い、何時どこで知り合いどの様な存在なのかを、気が付いたら話をしていてモデルをやってもらったと言った調子であったが不思議と疑問を感じた事は無い。気が付いたらそこにいて、気が付いたら居なくなって何時かは忘れ去る・・・とだけはどう言う訳か意識しつつ。

「よし、わかった。じゃあちょっと待っててね。」
 しばらく立ってそう言い放った少年はノートを道子へと戻すと、何時も使っている台の上へと上って静かに目を閉じ息を吐いた。体が小刻みに震えている、だがここで道子は何もしない、いや何も出来ない。ただ筆を片手に見詰めるのみである。
 道子の視線の先の台の上でしばらく直立したまま震えた少年は今は静かに落ち着いている、だがどこかおかしい。見慣れたものだがわざわざ始めてみたばかりの頃を思い出してそれを見る。少年の体の随所は色が不鮮明になりつつあった、最初は転々とその内にそれぞれが結びついて広がっていく。
 肌色とも何とも付かない色にしばらく覆われた箇所は、広がっていくのに比例して水溜りが日なたで乾いていくかの様に急速に調和を取り戻すと色は様々、最初に目に入った箇所は黒い毛に覆われていた。正確に言えば完全なる黒ではなく所々黒が混じっているので薄黒色と言った所、次は鮮やかな黄色に黒の縞、そして明るい茶色に赤、最後に鮮やかな緑と薄青色・・・とにかくそこにはわずかの間を置いて様々な色の中から選び抜かれた幾つかの色によって形が現れていた。そしてそれはすぐに動いたのであった。
「何だか今回は・・・ごちゃごちゃだ、一体何なんだい?」
 聞こえてきた声はふの少年のものだった、パレットの上に色を出しながら道子は呟く。
「鵺よ。」
「鵺?なんだいそれは。」
「妖怪よ、猿の頭に虎の手足狸の胴体蛇の尻尾と言うね。さぁポーズを取って・・・そうそう、それでいいわ。じゃ動かないでね。」
 そうして道子はパレットの上では知らせた筆をキャンパスにて再び走らせた。目の前には予めキャンパスにデッサンしていたのと全く同じ格好をした一匹の鵺、見れば見るほど奇怪な姿である。赤い顔をして周りを猿特有の明るい茶色の獣毛で覆っていたかと思えば、首から下は狸の微妙な白と黒とが交じり合った胴体、そして手と足の付け根からは見るからに逞しい黄色に黒縞の虎の両手両足が伸び、究めつけは腰から伸びた緑の鱗に覆われた蛇の尾・・・顔は如何にも恐ろしげにして入るものの、見れば見るほどどこか口元が綻びそうになるのは矢張りその姿由縁のものなのだろう、見ようによっては恐ろしいのだが。
 その様な古来から恐ろしい物、得体の知れない物の代表格として人々から畏怖されてきた鵺を道子は平然としつつも真剣な顔をして見る度に目に焼き付け一心不乱に筆を走らせていく。そうして数時間、驚異的な速さで彼女はキャンバスの上にその姿を描き表した。そして絵を片付けて道具をしまっている内にふと気が付くと、傍らにいた筈の少年の姿はどこにもいなくなっていた。彼女は小さく微笑むと電気を消し鍵を掛けて美術室から出て行った、幸いにしてちょうど雨は止んでいる。道子は大急ぎで自転車をこいで家路についたのであった。

 そして数ヵ月後、再び美術室から声がする。覗いて見ればいるのは矢張りあの2人、道子と謎の少年、傍らにはキャンバスが広げられ何事かと言葉を交わしている。果たして今夜は何を描くのだろうか?真に楽しみな事である。


 完
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