街角の出会い・第一章接触編冬風 狐作
 大都会、そこでは無数の人々が日々行き交い擦れ違う。だがその反面人と人との繋がりは弱く少ない、少なくとも仕事等での関係では別としても通りを歩いていて見知らぬ人とふと気が起きて軽く会釈しあったり、道を譲った際などに挨拶をする事はあってもあくまでもそのば限り。そこから先へ発展することは無く、仮に再び同じ道若しくは別の場所であったとしても双方が覚えている事は稀で片方の心の中で何か引っ掛かる・・・その程度の印象しか持ち合う事はない。そしてその後また擦れ違った時にはすっかり忘れ去っているのが常だ。
 そんな人の関係の希薄な大都会の中においても極稀に些細な出会いから大きく発展する事がある、それは必ずしも"電車男"の様な恋愛話には限らない。様々な関係が存在するのだ・・・。

 前の年から続いていた厳しい寒さの和らいだそんなある日の夜、とある繁華街を不満気な顔して歩く女性が居た。彼女の名前は大場小町、20代も半ばを過ぎた会社員である。彼女がこうも不機嫌な顔をしているのには理由があった・・・ある楽しみが突如としてなくなってしまったからである。その楽しみとは新年会、するにしては少し遅すぎる感もしないでは無いが皆の日程を勘案した上でのことだから仕方が無い。昨年は幹事として会場探しから会計までを全て1人で受け持ったが故に殆ど楽しめずに過ごしたものであるから、2年ぶりの楽しめる事を楽しみに小町はしていた。
 しかし現実は彼女に微笑まなかった、気合を入れて非番だった事から直接会場に早めに向った大場にもたらされたのは期待を裏切る延期の連絡。それも会場となる居酒屋の前にて寒風に吹かれながら皆の到着を今か今かと待構えていた時であった、その無情な報せの表示された携帯を思わず地面に叩きつけたくなった事は言うまでも無い。
 それでも治まらぬ気持ちを抑えてそこを離れたのであるが、大きな期待を寄せていたが故に一筋縄にて納得する事は出来ずにしばらく辺りを徘徊・・・時には会社にこのまま足を向けて今年の担当幹事に理由を問い質そうかとも思ったが、それはただ醜態を曝すだけで自らにとっては大きな損失となり兼ねず思い止めるに至った。
 そんなかんなでこのちょうど大きな正方形となっている同じ通りを周回する事、早5回余り。何とか気持ちも完全にとまでは行かないが惜しい程度にまで静まったので、帰宅しようかと地下鉄の出入り口に近い大通りへの出口に向けて動き始めたその時であった。何者かとぶつかったのは。
「あっ・・・。」
 思わずそう漏らしてよろける大場、だが彼女以外の人の流れは元のまま。このままでは前を行く人にぶつかる・・・と、そんな時彼女の肩をしっかりと掴む者があった。
「大丈夫?」
 肩を支えてくれたのは自分と同じ年頃と言った女性だった。彼女は仕事帰りなのだろう、普段自分が来ているものと色違いのスーツを纏い鞄を提げている。小奇麗な感じの中々好感を持てる女性であった。
「あの・・・。」
 思わずぼうっとしていた小町を心配したのか、その女性は尚も心配そうな顔をして反応を確かめてきた。その場でようやく我に戻った小町は顔を強く赤らめると挨拶もそこそこに、その場を立ち去った。その一瞬の出来事に注目するわずかな人々、だが数十秒と経たぬ間に元通りの光景へと戻って行った・・・。

 そして数週間が経過した。お流れになった新年会も日と場所を改めて行われて気持ちも晴れ、心機一転となって仕事に励んでいたそんなある日、得意先回りでとある企業へと足を運んだ小町は思いもよらぬ出来事に遭遇する事となる。
「どうもお時間を割いて頂きありがとうございます」
 折りしもその時、小町は得意先の担当部長と打ち合わせを始めようとでしていた。内容としては以前に合意済みのプロジェクトの内容確認とその後の修正内容に付いてであり、大体30分もかからずに終わりその足で次の得意先へ向う・・・その様な段取りとしていた。そして最初の打ち合わせ内容とは何の関係も無い話をしていたときの事、扉がノックされ1人の女子社員が室内へと立ち入ってきた。
「お茶をお持ちしました。」
「あっどうもすみません。」
 言葉を返しながら小町はその女子社員の声が何処か引っ掛かった。強くでは無いが何処と無く覚えがある声だからであったからで、その配る手を眺めながら思う事数秒。途端に記憶の中から答えが浮かび上がってきた。
「あっ・・・。」
"あの時私を支えてくれた人じゃない・・・この会社の社員だったんだ・・・。"
「どうかしましたか?大場さん。」
「いえ、何でもありません・・・お騒がせしました。」
 いきなりの小さいとは言え呟きに驚いた得意先が何事かと尋ねて来た。特に何とも無いとしてその場を宥めつつ、視線はその女子社員へと向かう・・・どうも相手もこちらが気になっていたようだ。今の声で分かったらしく先程よりも少し動揺している所が見受けられた。
 もしここにいるのが2人だけであったら声をかけ合う様な事もあったであろう、しかし何も知らない第三者であり恐らく上司であろう得意先の手前ではとても出来はしない。結局2人して視線を一度合わせただけで女子社員は一礼して外へと出て行ってしまった、小町も気持ちを整えて早速打ち合わせへと入る。少しでも気持ちをより深く落ち着ける為にも普段以上に入念な確認をして・・・。

 それからもその会社へは何度か足を運ぶ機会に恵まれた。相手の女子社員の名前は胸に付けられた入社証から、酒匂翔子と言う名前である事は分かった。相手も小町の名前を如何にかして掴んだらしく、小町が訪れる度にお茶を運んでくるという有様でお互いがお互いを互いに気にしあい意識しあっていることは確実であった。そして会う度に言葉を交わしたいと言う思いは次第に募り、段々と居てもたっても居られなくなっていくのを強く感じていた。だがこちらの機会には中々恵まれない・・・会えるだけでも満足すべきなのかしら、と小町も想いを抱き始めたそんな時、何の前触れも無くその機会は訪れた。
「部長、お電話です。」
 それはその日の打ち合わせも終わりを迎えようとして内容も気の抜けた雑談ばかりとなり掛けていたときの事だった。まるでその時を見計らった様にかかってきた電話の事を告げたのは件の彼女、どうやらかなり重要な電話らしく一言断り出て行く得意先。立ち去ろうにしても挨拶を済ませていないのでどうする事も出来ないで座り込んでいた小町とその女子社員、翔子の2人だけが得意先が閉めた扉によって外から隔絶された面談室の中に取り残されたのである。
 漂う何処と無く気まずい雰囲気・・・これまでに無い最高のチャンスだと言うのにいざ接してみると、お互いにどう言う訳か緊張してしまい話を切り出す事が出来ない。話しかけたその瞬間に得意先が戻って来るのではないか、本当は相手は自分の事なんて全く意に止めていないのではないか・・・その様な気持ちが無数に交錯する。願わくば相手、酒匂翔子の方から切り出してもらいたいと願うばかりであった。
「あの・・・あなたはあの晩の・・・。」
 これも運命と言う物なのかは分からないが、そう思って間も無く何と思った通りに向こうから言葉を向けて来たのだ。途端に解れる場の空気、小町はすっかり緊張も半ば解かせて頷いた。
「あの時はどうもありがとうございました・・・余りの事でしたのでお礼も言わずに立ち去ってしまい申し訳ありませんでした。」
 そして小町も言葉を向ける、あの日以来心の中に鬱積していた言葉を一気に流した。
「いえ、こちらこそ急にあんな事をしてしまって・・・ご迷惑ではありませんでしたか?」
「そんな事はありませんよ、あのままだったら私は確実に転んでいましたから・・・でもこうやってめぐり合えるとは思いもよりませんでしたね。奇遇と言うのかしら・・・。」
「私こそ・・・素敵な方でしたし・・・。」
「えっ?」
 詰らせ気味に吐かれたその言葉に小町を耳を疑った。同性のその様に言われたのは初めてであったからである、確かに異性からは学生自体から良くそう言われて来たので今更言われても特には動じなかった。だが同性からと言うのは・・・初めてで免疫が薄い分、思わず戸惑いを表にしてしまったのである。
「あっいえその・・・あの今度お会い出来ませんか?突然こんな事を言うのは失礼でしょうけれど・・・。」
「えっまっまぁ良いわよ・・・私は・・・。」
 そのノリに乗って思わず調子を併せて同意する小町、すると後ろの扉を振り返るような仕草をした翔子は焦り気味に言った。
「わかりました・・・では、あの何時部長が戻ってくるか分かりませんから私の携帯に電話を・・・番号は090○○○○◇○△○ですので。」
「了解したわ、090○○○○◇○△○ね?書き留めたといたわよ。」
 そう言って瞬時に紙に書きとめた番号を、復唱しつつ見せる。汚い字だったが読み取れたようでそっと微笑んで頷いた翔子は足早に部屋から出て行った、その間に小町は紙をポケットの中へと仕舞い半ば冷えた緑茶を啜って気を落ち着かせる。その後得意先が戻ってきたのは10分も経過した時の事だった、何も事情を知らない得意先と言葉を交わしつつ頭の中ではあの出来事が繰り返し再生され、その上をあの携帯番号が漂っていた。

 電話を掛けたのはその日の退社時の事だった。小町の耳元で数コールすると聞こえてきたのはあの声、翔子の声であった。
「すいません・・・突然、こんな事をさせてしまいまして・・・。」
「いいのよ、気にしないで。えーっと確か名前は・・・。」
「酒匂翔子・・・翔子とお呼び下さい。」
「あっそうだったわね、わかったわ。では翔子さん、私の事は同じ様に小町と呼んでちょうだい、よろしくね。」
 その時一瞬の間が2人の間に生まれた。だがそれは決して気まずいものではなく、親しい間柄同士が歓談している際に現れるほんのりとした物。それを感じた小町は思わず笑いを漏らしてしまう。
「あっあのどうしましたか?」
「あら、ごめんなさい。ちょっと・・・初めて電話したのに何だか懐かしく思っちゃって・・・。」
「そうですか・・・そして、あの何処かでお会い出来ませんか?もし出来るなら今からでもお会いしたいのです・・・。」
「うーんそうね・・・まぁ私も特には無いから良いわよ。」
 瞬時に頭の中にてこれからの予定を思い起こさせる、そして即答。今晩の小町には特に予定はなかった、出張に出るのは一週間後だから余裕があり書類も退社までに何とか間に合わせて仕上げてきた。だから今日はこのまま家に帰ってお笑い番組でも見て寝ようかと考えていたのだが、一方ではこの所その繰り返しでもあったのでつまらなくも感じていた。
 何か変化を求めていたのは確かであった、だからこそそこに急遽もたらされた誘いの電話、それも話を重ねて間もない相手との出会いと言う物は飢えていた彼女の心を魅了したのだ。それこそ飢えたライオンが逃げるガゼルへと飛び掛り喰らいつくかの様に、小町は翔子の誘いに乗ったのであった。

 待合せ場所は程近い所だった、都心の主要ターミナル駅の構内にあるベンチ。帰宅ラッシュで混み合う駅の中にてそのベンチのあるホームは、主として特急の到着用に供されるが為に人気が例外的に少なく待合せには中々最適だった。そして天井に吊るされている時計を見ること数回、ふと耳に規則正しいタイル張りの路面を叩く音が聞こえてきた。近付いてくる濃紺のハイヒール・・・満面の笑みを浮かべたあの顔が、翔子が現れたのだった。
「こんばんは、大場小町さんでしょうか?」
「えぇそうです。酒匂翔子さんね、こんばんは。先日はありがとうございました。」
「そんな事無いです、あれを見て反射的に動いただけですから。」
 その様な挨拶から始まって数分ほどその場で立ったまま話をする。時には笑いも漏れたので、線路を挟んだ反対側のホームに立っていたスーツ姿のサラリーマンが不審気な目で見てきたが何もなく、また2人ともその視線には気が付いても気にはしていなかった。
 だがそんな折に流れてきた駅のアナウンス、それは今2人のいるホームへの特急の到着を告げる案内であった。ふと見渡せばホームには等間隔にて2人ずつ掃除用具を持って清掃員が既に待機していた。暗いホームの向こうのトンネルの奥には眩いばかりに光を放つ2つの目、特急の前照灯が迫ってきている。
「移動した方が良さそうね。」
 そう呟いて翔子を促すと2人は混雑する前に手前にあった階段を登り改札を出て行った。


 終
街角の出会い・目的編
作品一覧へ戻る