遭遇 冬風 狐作
"腹減ったなぁ・・・。"
 それは空を飛んでいた、眼下に広がるのは若草色の若い稲が植え詰められた水田と点在する家々、そして山と川と言う典型的な田舎の農村風景だった。飛んでいるのは鳶である、雄の標準的な体格をしたその鳶は視線を地面へと向けて餌を探しつつ、再び大きく弧を描いていった。
 その頃、1人の高校生が学校からの帰り道自転車を片手で押しつつ、もう片手では学校近くの店で買ってきたハンバーガーを手にしてパクついている。初夏の爽やかな風と日差しを浴びながら、ご満悦な彼の顔が変わるのはもう間も無くの事であった。道は緩やかに田んぼの中に微妙なカーブを見せながら伸びている。

ピ〜ヒョロロロ・・・
 どこかで鳶が鳴いているな・・・と高校生が何気なく思ってからわずかの事、
「うわぉっ!?」
 突然彼が驚きの声を上げたのは。彼は慌てて両手で顔を庇いつつその場に屈みこむと、手を外された事で自転車が派手な音を立てて、道の脇の用水路に落ちてしまった。しかし、そんな事はお構い無しに、彼はただ体を小さくし手を軽く振りながら、不意に襲ってきた何者かと格闘しようと見当はずれな方向で手を振り回す事数十秒、ようやく手を解いて立ち上がるとそこには自分以外には誰もいなかった。あったのは用水路の中でひっくり返った銀色の自転車と、コンクリートの白い道路の上に無残な姿となって巻き散らかされたハンバーガーの残骸だけだった。
「今のは・・・何だったんだ・・・。」
 その惨状を見て彼はそう呟いて軽く服をはらった。落ちてきたのは方に溜まっていたフケとわずかなほこりだけ、特におかしな所は見当たらなかったがそれはあくまでも彼の視界の範囲内、背中のリュックからは茶色い鳥の羽毛の欠片が1つ外れて、折からのそよ風に乗って田圃へと流れていた。
「自転車を助け出さないとな・・・ヤバイヤバイ・・・。」
 その場の主な関心を高校生が、用水路に落としてしまった自転車を道路上へ上げる事に移したその時、一羽の鳶がそこからやや離れた上空を滑空していた。

"中々美味いな・・・これ。"
 巣に戻った鳶は先程手に入れた見知らぬ食物、柔らかくて不思議な味と臭いのする食物を突付いていた。その味はこれまで味わった事の無い物であり、今までの中で最も美味いと思っていたリスの肉よりも余程美味しく、魚の死体とは比べ物にはならない代物であった。だが生憎の事、獲って来た量が少なかったせいですぐに食べ尽くしてしまい、鳶はその事を酷く残念に感じていた。
"何て美味しかったのだろう・・・もっと食べたいね・・・。"
 わずか数口でその味の魅力にとり付かれた鳶は再び、先程の場所へ向けて巣から飛び出した。

 それから数週間後、その鳶は森で捕らえた大好物のリスを食べていた。だが以前なら無上の幸せを感じられたその味にも、今日ばかりはその様に思う事は出来なかった。それは昨日捕らえた鼠の時も同じであった。彼の心の中にはどこか空虚な、それらの物では到底満たされ切れない穴が1つ開いていたのだ。その原因を鳶は痛いほど分かっていた、あの時空腹に負けて人間から奪った見知らぬ柔らかい食物、リスや鼠の様な血の味も無く、魚の死体みたく生臭くも無いあの奇妙な美味の食べ物・・・その味が彼の心を捉えて止まなかったのである。それ故に彼はこの所以前の様に熱心になって餌を探さなくなってしまっていた。
"うーむ・・・食べたい、何としてでも食べたいなぁ、あれ・・・。"
 鳶は1人巣に身をおさめてその小さな脳をフル回転させていた。彼には本能として優れた餌の探知能力と捕獲能力はあったが・・・人間の食べる物に対してのそれは備わっていなかった。あくまでも、野にいる彼らの常食である鼠や川魚の死体と言った物に対する事だけであった。それでも、彼はじっと何とかして良い方法を見つける事に努め続けたのだった。
"やっぱり、人間の物なんか奪うべきじゃ無かったのかな・・・。"
と言う若干の後悔の念も織り交ぜて・・・。

 数日後、鳶は単身山奥へ向っていた。人と違い、鳥獣にはそれぞれの縄張りが厳密に存在していおり、一見自由に見える彼らは実は全くそうではないのだ。むしろ人間よりも上下の関係や締め付けがきつい・・・と言えるかも知れない、よって当然の事ながら鳶は、この様な自分の縄張りから遠く離れた山奥へ来たのは全く初めての事だった。途中何度かその空域を縄張りとする他の鳥達に攻撃されそうになったが、事情を手早く伝える事でそれは何とか回避してきた。
「鳥神様の所へ行く。」
 それだけだ、ただそれだけ伝えれば誰もが納得して通過を認めてくれる。時には早急にと言う条件を付けられる時もあるが、それはそうと従えばよいだけの事で何ら障害にはなりはしなかった。巣から飛び続けることほぼ半日、ようやく鳶は山の奥深くにある湖を望む高台にある古ぼけた神社へと到着した。最も、人ではないので鳶には神社かどうか等と言う区別は付かないが、そこから独特の気配を感じ取っての行動であった。鬱蒼と茂る森の中で一際高い巨木の枝に足を下ろして、しばらくそのまま待機していると何かがその脳裏に話しかけてきた。
「さて・・・お前さんは何用でわしの所へ来たのかな?」
「願事があるのです・・・よろしいでしょうか?」
「おぉ、良いとも良いとも、どう言った願いかね?まさか嫁さんが欲しいとかそう言うことか?」
 そこで鳶はその声の主が、姿は見えなくともその声が鳥神の物である事を悟った。彼はホッと心をなだめて、そして切り出した。
「私の願い事はですね・・・あの、人間になりたいんです・・・無理ですよね、そんな事・・・。」
鳶は自ら否定気味に抱いていた願い事を放ち、様子をうかがう。返答は中々無く、やはり無理な願だったのかと落胆し掛けたその時だった。
「・・・出来るな、十分可能じゃ・・・しかし、また何故人間なんかになりたいと言うのだね?今のままの方が余程気楽だというのに・・・人の街近くに住むお前さんなら良く分かる事だろう?」
「それはですね・・・きぁ、何と言いますか・・・そのですね・・・。」
 鳥神に不思議がられた鳶は恥ずかしそうにその理由を述べた。最初は静かに聞き入っていた鳥神も、話が終わりに近付く頃には静かに笑い始め、そして話し終えた時にはすっかり爆笑していた。その笑いを聞いていると何だか鳶自身も気持ちが高揚し、何時しか2人で笑っていた。
「ハハハハッ・・・なるほど、それは良く分かった。良いだろう、人間にお前さんをして上げよう、鳶でありながら人の姿を持つと言うのもまた一興、よろしい事だよ・・・しかし、長年わしは様々な者の願いを聞いて来たが、お前さんみたいのは数百年ぶりに聞いたものだ、ハハハハッ。」
「快諾して頂き、真にありがとうございます・・・でも、自分の前に同じ様な事を鳥神様に願ったのがいたとは、思いませんでしたね・・・。」
「そうじゃろう?そうじゃろう・・・一般にそなた等鳥と言う物は、他の獣と違って人に対して憧れを抱く事が少ないからな。他の獣は多いぞ、今は不在だが一緒に住んでいる仲間の元にはよく来るものだ・・・稀に人間が来る時もあるな。」
「人間が何をここまで願いに来るのですか?」
「獣になりたいと言うのだよ、全く面白い事だ・・・理由は様々だが最も最近来た人間の女は、人でいるのが嫌になったからとか言っておった。まぁ、奴は叶えてやったようだ。何でも聞いた限りでは狐にしてやったそうだ、それも人と狐の中間の狐人と言うのにな・・・全く、今はどうしている事か分からぬがの・・・。」
「なるほど、そんな事があったのですか・・・人間て変わってますねぇ、驚きました。」
「そうじゃな、わしもたまに人間が何を考えておるのか分からない時がある。まぁ彼らは彼ら、それにお前さんも十分鳥としては変わっておるぞ、食物の為に人になりたいなんてのは初めてだよ本当。確か・・・以前のあやつは鶴だったな・・・それはそれは見事に美しい鶴であったよ、助けてもらった人に恩返しをしたいと言うのでな、条件付で叶えてやったが・・・条件を破ってしまい失敗した様と聞く。」
「失敗したらどうなるのです?まさか自分も・・・。」
「ハハハッ、なにお前さんの心配する事は無い・・・当時はわしもまだ未熟であった。それ故に完全なる術を掛けてやる事が出来なかったのだよ・・・そう考えると悪い事を、あの鶴と鶴の焦がれた人間にしてしまったものだと痛感しておる。お前さんの場合は、大丈夫だ・・・まぁ全ては始まってからのお楽しみ・・・目を瞑るがいい、いいかな?・・・それでは、また何かあったら来たまえよ。ではな。」
 次の瞬間鳶は体が解ける様な錯覚に襲われ、そのまま目を瞑ったまま気を失った。そして、外から見ると急にその巨木の枝に止まっていた1羽の鳶が、その場から忽然と消えてなくなっていた。

「うっ・・うぅん・・・。」
 鳶が目を覚ますと、そこは地面の上だった。何だか体が重く違和感を感じる、それでも空へ飛ぼうと羽を羽ばたかせようとした。しかし結果として羽が羽ばたく事は無かった、その代わりに動いたのは見慣れぬ小麦色をしたのっぺりとした2本の棒、それが自らの体から出ている事に気がつくのにそう時間はかからなかった。
「なっ何だよ、これ!?・・・人間の手じゃないか・・・と言う事は、そうか・・・本当に叶えてくれたのか・・・。」
 それは人間の手であった。鳶は驚くと共に如何してこうなったのかを承知していた、と言う以前に自らが望んでこの様にしてもらったのであるから、最初の驚きも程々に心を落ち着かせるとそのまま誰にも習った訳でもないのに、体の動く様に任せるとややぎこちなくはあるが立つ事が出来た。 "立ってるよ・・・鳥である俺が人間となって・・・。"
 黒を中心に茶混じりの短髪、精悍な程よくまとまった顔、口元を飾る短く決して目障りではない髭、薄茶色の瞳、細身のそれでいて筋肉質で逞しい長身の体、そして身に纏うはこげ茶色のスーツ姿・・・そこには中々ハンサムな俗に言う良い男が立っていた。そして、その顔は深い感動と喜びに満ち溢れていた。
「どうだ?その体は中々の自信作だと思うが・・・。」
「鳥神様・・・一体何処に?」
 人となった鳶が慌てて辺りを見渡すがどこにもその姿は無い、ただ声が静かに響いてくるだけである。
「ハハハ、我を探そうとするのは無駄な事・・・さて、どうだい体は?うん。」
声は軽く笑うと感想を求めてきた、どうやら先程の言葉そして今の言葉と言い、相当自らのした事の出来の方を気に掛けているようだ。鳶は軽く微笑んで言葉を返した。
「申し分ないです。あとは少し歩くのに慣れるだけですよ。ありがとうございます。」
「そうか・・・それは良かった。わしも嬉しいものだよ、さてさて幾つか伝えるべき事があってな。まず、鳶への戻り方だが・・・。」
「えっ!?鳶へ戻れるのですか?」
「当ったり前だ、この阿呆が・・・まぁ初めての事だから仕方ないかもしれないがな、とにかく戻るのは簡単だ。鳶に戻りたいと念じて、飛び降りるだけ・・・そうだな、本当小さな段差でも構わないぞ。大体、人間の使うセンチと言う単位で言うと20センチあれば十分だ。最も、余り人前でやるなよ。特に小さい子供がいるところでやらない様に・・・人間と言うものは子供、特に我が子が傷つけられるととんでもない恨みを抱く生き物だ。まぁそれだけ情が強い事の裏返しでもあるのだが、とにかく気をつけろ。下手をすれば命を失う事にもなりかねない上、お前さんが助かっても他の連中が間違えられる可能性がある。そうなったら最終的に損をするのはお前さんだからの、いいな?」
「はい、わかりました。」
「そうか、では次にもう1つ・・・人間である間は名前が必要だ、そこでお前さんに飛田風彦と言う名前をやろう。あとは・・・金だな金、金が無くては人間として生きる事は出来ない・・・と言う訳でお前さんの内ポケットに財布を入れておいたからそこから使う様に。最も使いすぎには気を付けろな・・・まぁ後の事や今言った事の詳細は、お前さんの頭の中に知識として入れてあるから何とかなるだろう・・・まぁ気を付けて楽しんできたまえ。では、わしは帰るぞ。何かあったらまた来るが良い、ではな。」
 そう言って鳥神は鳶からの、飛田風彦からの返事を待たずにそそくさとその場から立ち去っていった。その去っていく姿は見えないはずであるが、どう言う訳か飛田の目は非常に大きな鳥が、森の木々の上を掠めて飛び去っていくのを目にしていた。飛田はその神々しさを感じさせた巨鳥の飛び去った方向へと軽く一礼し、歩くという慣れぬ姿勢に体を合わせながら森の中を歩いていった。

 それから数日後、1人の男がとうる街の某大手ファーストフード店に姿を現した。
「いらっしゃいませ、ご注文の方は・・・。」
「ハンバーガーを3つ、Sでお願いします。」
「はい、お飲み物の方は・・・。」
「いりません、持ち帰りますのでよろしくお願いします。」
「わかりましたでは、ハンバーガー三点で・・・300円となります。」
 300円がしっかりと払われたのを確認した店員は、それを納めて注文されたハンバーガーの入れられた袋を手渡した。男はそれを受け取ると静かにその場を去り、店外へと出て行ったのであった。
"何今の男・・・すっごくハンサムじゃん・・・好みよね〜・・・レジ係の役得だわ。"
見た目では平静なままの彼女の心の内では、今の客に対する想いで満ちていた。そして、あのような良い男を見たのは私だけと自負したまま仕事を続けて、勤務終了と共にロッカールームへ着替える為に戻った時、そこには普段ならすぐに帰るはずの中の良い2人の友人と他の数名の同僚達が、何か興奮したように話をしていた。
「どうしたの?何かあった?」
 不審に思った彼女が声をかけると、友人達は一斉に彼女を見詰めて来た。そして、その中の一人が彼女にこう言った。
「友子さぁ、さっきのあの客どう思う?」
「さっきの客って?」
「ほら、あの黒のスーツを着たハンサムな男の事よ。ハンバーガだけ3個お持ち帰りした・・・。」
「あっあのハンサムな男の人ね・・・カッコいいわよね彼・・・。」
「やっぱり、そう思ってたんだ・・・いやねぇ、私達も何だかカッコいいなって思ってたのよ〜それでさぁ・・・。」
「うん、何々?」
 彼女は友人達の会話に加わりながら、あの客に対して好意を抱いたのが自分だけではない事を強く悟った。そして、それは彼女の友人達もそうであり、静かなる勝手な戦いの火蓋がその場で静かに切って落とされるのは、そう遠くは無いと言う空気を誰もが嗅ぎ取っていた。

"あ〜なんて美味しかったんだろう・・・また、食べに行こうかな・・・。"
 その夜の事、その店からそう遠くは離れていない田園地帯の林の木の上で、一匹の鳶が満足げに回想していた。その鳶こそあの飛田風彦であり、そしてあのように女性店員達を魅了させた張本人であるのだが、彼はまだその事を知る由も無かった。ただ、彼は次に買いに行くのは何時にしようか・・・それだけを考えている間に眠りに就いた。
 鳶が眠りについた林の中には夏の到来が近いことを告げる虫の鳴き声が風と共に静かに響き渡っている中で・・・。


 完
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