「さてと・・・そろそろ眠ろうかな・・・ファアァ〜。」
風呂から上がり、テレビを見ながら今でチューハイを飲み終えると京子は一欠伸してテレビと電気を消して居間を後にした。寝室へ入るとベッドの上に置いておいた例の毛皮を手に取りまじまじと眺めた。
"狐の毛皮ってきれいね・・・うっとりしちゃうわ。"
そして、何を思ったのかパジャマの上にその毛皮を羽織りだした。実を言うと彼女、注文の際に毛皮をちゃんちゃんこに加工するように頼んでおいたのだ。その為、この毛皮は肩が通せる様に加工されており見た目では普通のちゃんちゃんこと材質が毛皮と言う以外はなんら代わりが無い。
「おやすみなさ〜い。」
そう言って彼女は眠りに就いた。
眠りについてから数時間の経過した深夜、彼女は寝苦しさを憶えて目を覚ました。
「何で今日はこんなに寝苦しいのかしら・・・。」
と胸元に手を伸ばしパジャマのボタンを外そうとした時だった、手先に何か違和感を感じたのは。
「えっ?」
手先に感じたふわっとした見知らぬ感触、恐る恐る視線をそこへ向けるとそこにパジャマは影も形も残っておらず、彼女のやや豊満な胸は滑らかな形となってその上にびっしりと皮膚に密着する様に獣毛に覆われていた。
「うそだよね・・・。」
と彼女は試しにその毛の一部を引っ張ってみた、すると髪の毛を引っ張った時と同じく痛みと下の皮膚が動くのを感じて慌てて手を離した。それは紛れも無い事実を示していた、その獣毛は本物であり彼女の体から生えているという事実を示していた。
電気の光の下、鏡に映し出される自分の姿を見て彼女は懸命に思考を巡らせていた。
"どうしてこんな事に・・・あっまさか・・・狐肉を食べたからなの・・・そんな馬鹿な・・・。"
"馬鹿な話じゃないよ、本当の話だよ。"
とした時であった、彼女の頭の中に何者かが話しかけてきたのは。
「誰!?」
"一々声を上げなくてもいいよ、想うだけで僕には伝わるから・・・僕は狐、君に食べられた狐さ。"
とその声は自分の正体を告げた。
「食べられた狐って・・・。」
"だから、一々声に出さなくても大丈夫だって・・・まぁいいや、それは。僕が今言いたいのはただ1つ、体を返してもらいたいと言う事だよ。"
"返してって言われても、もう全部食べてしまったし・・・もう死んでいるんでしょ?なら生き返れるはずが無いじゃない。"
"そんな事は無いよ、僕は完全に死んではいなかったんだ。気を失っていたら死んでいると思われて皮を剥がれて、肉をとられて・・・気が付いたら死んでいたんだ。余りにも酷い話だと思わない?死んで無いのに殺すなんて・・・。"
"それはまぁ・・・そうね・・・で、私に何をしろって言うの?"
"何もしてもらうかって、それはもちろん僕を食べた代償としてその
お姉さんの体をもらうよ。"
"私の体をもらう?何を言っているの、死んだあなたに出来っこないじゃない。それにそんなに死んだのが嫌なら、直接手を下した人の体をのっとればいいじゃないの。私には関係無いわ。"
"そんな事は無いよ・・・ 確かに僕を殺した人間達にも思う所は無いわけ無いけど、彼らは生きて行く為に僕を殺した。それは僕たち狐だってする事だし、どんな動物だってする事だから諦めがつくよ・・・でもお姉さんの場合は、別に僕を食べなくても生きていけるのにわざわざ食べる、それも自分の楽しみの為に、これはどうしても僕には諦めが付かない。だから、体をもらうのさ・・・。"
"嫌よ、何であなたになんか体を上げなくてはならないのよ、所詮は狐でしょ、食物連鎖の頂点に立つ人間が食べて当然じゃない。"
"ふふふ・・・食物連鎖か・・・そんな事は関係ない、君は僕を食べる必要はなかったのに食べた・・・それを食物連鎖の一環とは言えないよ。それにもう遅いよ、君の体はもう後戻りできない所にまで来ているのだから・・・じゃあ、また後でね。"
狐は不意に一方的に言葉を絶った。そして何度も京子が話しかけても応じる事はなかった。
「何なのよ、今のは・・・あれ・・・もうこんなに広がってる。」
鏡に再び注目した彼女は、頭の中で狐と言葉を交わしている内に自分の体の変化が進行していたことに気が付いた。進行していたとはいえ、毛に覆われている箇所が胸と両腕の辺りまでであったのが足の膝まで進み、手は全て覆われてしまっている程度である。しかし、京子は毛が広がっていくのと比例して心臓の拍動が強くなりつつあるのに気が付いた。
"体がのっとられるなんて・・・有り得ないわ・・・でも・・・。"
彼女の心の中では次第に強気が姿を消し、弱気な心配心が拡大していた。そして、見ている内に毛は顔を含めた全身が白と茶、そして狐色の獣毛で覆い尽くされた。人そのままの体を覆う、狐の獣毛・・・その姿は何とも滑稽なものといえよう。
「変な格好・・・。」
と自嘲気味に呟いた瞬間、彼女の心臓がいきなり高鳴った。全身に莫大な量の血液が流されていく。
「あぅっ・・・な、何今のは。」
そして、それが始まりであった。
心臓が大きく打つと共に、彼女は再び息苦しさと熱を感じた。そして、何かが突き抜けて行くかのような感覚が全身の各所を駆け抜けた瞬間、何かが欠落したのを彼女は感じていた。
まず、変化がおきたのは腰であった。尾てい骨に熱が集中すると、それまで何の突起も無かった平坦な獣毛が上へと次第に押し上げられ、そこから突き破るように勢い良く背骨が、そう尻尾が突き出した。突き出た尻尾は狐特有のフサッとした毛を生やした物であり、しばらくパタパタと揺れると下へ垂れた。
"尻尾生えてる・・・。"
そんな京子の気持ちは関係ないと言わんばかりに、彼女の体は動き出した。骨格が嫌な尾を立てながら変わり行き、次第に二足から四足歩行へ適した骨格へ移り変わる。骨盤が変化して立っていられなくなり、床に倒れた頃にはすっかり首から下は狐そのものになっていた。人面狐・・・と呼べる生き物が鏡に映る、余りに事に京子は瞳を閉じ懸命に現実を否定した、だが否定されても体は進む、髪の毛が抜けると共に耳が変形しつつ頭へ行き、止まり掛けたところでとうとう顔の変化が始まった。卵形の小顔は顎を伸ばし、鼻を伸ばして全体が前へと突きで行く。目が左右へ動き、視界が移り変わる、人の顔とはあっていなかった獣毛の模様がそれに合致した頃、とうとう彼女の精神も蝕まれだした。
"やぁ、お姉さん・・・そろそろ交代の時間だよ。"
あの声が頭に響いた。
"お、お願い・・・もう狐肉なんて食べないから許してくださいッ!お願いします!"
"むーだだよ・・・もう遅いさ、食べた時点でもう遅いさ・・・さぁ人間らしく往生際は良くしてよね・・・。"
"や・・・やだ・・・止めて、止めて止め・・・あ・・・あぁぁ・・・。"
"そろそろだね・・・ありがとうお姉さん。"
"わ・・・は・・・しはぁあぁぁ・・・うぐぅ・・・き・きえ・・・。"
彼女は自分の意識が何かにすりつぶされていくのを感じて闇へと堕ちた。
"さようなら、もう二度と上がる事は出来ないよ。お馬鹿さん。"
狐はそう言った。
何もかもが終わった鏡の前には、小柄な一匹の狐がいた。そして、その狐は不適に笑うと鏡の前から何処かへと姿を消した。京子も姿を消した。