再就職 再就職冬風 狐作
 北風の吹き荒れる夕暮れの町の中を1人の男が歩いていた。
"今日も見つからなかったな・・・。"
コートに身を包んだその男の足取りは重く、そして気持ちも沈んでいた。そして北風がそれに更に輪をかけてくる。
"いい加減見つけないと・・・そろそろ失業保険も切れるしな・・・。"
 彼は失業していた。数ヶ月前に勤めていた運送会社が倒産してしまい失業者となっていた。それ以来失業保険とわずかな貯えを糧に職を探し続け、どの様な職種でも良いからと数え切れないほどの面接を受けてきた。しかし、若い頃からトラック一筋で生きてきた男に特別な技能も、学歴も無かった。だが、どうしてもそう言ったことが不利になってしまい採用されないのである。もちろん、いい所までこぎつけた面接もあった、しかしどうしても最後の一歩で躓いてしまいことごとく失敗するのが常となっていた。
"もう、失敗はいい・・・いい加減、職を得たい・・・。"
男は常々そう思い続けていた。電車に乗って2駅の駅で下車し、駅前に止めてある自転車で自宅へと向かう。ごみごみした住宅街の一角のこじんまりとした一戸建てが彼の家であった。
「ただいま。」
誰もいない薄暗い家の中に声をかけて中へ入る。妻子もいるにはいたが2ヶ月前にこちらから離婚を切り出して別れた。本音を言えば別れたくはなかったが、一向に再就職が決まらない中で何時までも妻と育ち盛りの子供たちを巻き込んでいてはいられないと判断した上の離婚であった。
 無言の夕食、とは言えインスタントラーメンをすするだけの夕食を取りパソコンをつけてネットにつなぐ。今の時代パソコンとネット接続環境が無ければ就職活動は難しいものがあった。メールを確認して着信欄を見る、不要な未承諾広告を削除するとそこには数日前までに受けた数件の面接結果が届いていた。
"これもダメか・・・これも・・・。"
男は1つずつ確認していく度に溜息を小さく吐いては若干の希望を抱いて次のメールを開いた。その繰り返しを何度かするといよいよ最後のメールとなった。
"今度もダメだろうな。"
そう思って中を確認した瞬間、男は我が目を疑った。そこにはこれまで男が夢にまで見るほど待ち焦がれていた『合格』の二文字が記されていたからだ。男は一瞬戸惑い、そしてしばし歓喜すると冷静になって指示通りに指定されたアドレスへと確認メールを送った。これで採用決定である。その夜、彼は余りのうれしさに熟睡する事が出来なかった。

 数日後、彼は次の日に届いた採用先からのメールに書かれていた指定された場所へと向かっていた。場所は都内某駅前の雑居ビル内の事務所、事務所の入口には『合資会社 近藤生化学研究会』と黒くすりガラスに記されていた。
ピンポーン
入口脇のインターホンを押すとすぐに返事が返ってきた。彼が自分の名前を告げるとすぐに了解し、ドアが開いた。
「本野 松雄さんだね。」
出て来たのは50代と思しき男であった。
「はいそうです。」
「じゃあ、こちらへ。」
促されて中へと入ると男はドアに鍵をかけた。
「まぁ、座ってください。」
「はい。」
事務所の隅に設けられた応接所に通され腰掛けると別の職員がお茶を持ってきた。 軽く会釈をしてそれを受け取ると前に座った男が話し始めた。
「遠路寒い中ご苦労様です。私は事務所長の松岡と申します。」
「本野 松雄と申します。この度は真にありがとうございました。」
「いやいや、頭を下げるには及ばない・・・さて、あなたの職場だがここではないのはご承知ですね。」
「ええ、はい。」
「北関東にある研究所で色々とやってもらいます・・・まぁ、詳しくはそちらでお尋ね下さい。では、行きますか。」
「あっはい、わかりました。大丈夫ですよ。」
「じゃあ行きましょう・・・おい、川田ちょっと研究所の方へ行ってくるからここは任せたぞ。」
「わたりましたっ、事務所長!」
「そうか・・・じゃ、行きましょう。」
松岡は部下に指示を与えると本野を連れて地下の駐車場へ行くと、古ぼけたワゴンに乗せて一路その研究所へと走り出した。
 研究所へと向かう車内は2人だけであったが和気藹々と話は弾み、気が付くともう高速を降りるところであった。高速を降りた車は農道を走り、やや川沿いに山の中に入った所にある薄黒く変色したコンクリートの建物の前で停車した。
「着きましたよ、ささ降りて下さい。」
車を降りると松岡はエンジンを切ってそこに止めたまま、やってきた。そして人気の無い玄関から中に入り、廊下を延々と歩いてある部屋の前で足を止めた。
「ここがあなたの部屋です。今日はもう時間も遅いので詳しい説明は明日という事で・・・。」
そう言われて通された部屋は四畳半程の広さの部屋でベッドと机、テレビが置かれていた。トイレと風呂は外にあると言われ部屋を一通り見ると案内された。トイレと風呂の見学が終わると食堂へと行き、夕食を取って部屋へ戻った。色々と考えたい事はあったが、その日は疲れていたのでそのままベッドに寝転んだ。

 翌朝、目を覚ますと窓から朝日が注ぎこんでいた。あくびをしてぼんやりとしていると松岡がやってきた。昨夜と同じ食堂で朝食をとり、部屋で待機していると呼び出され、医務室のような場所へ連れて行かれた。そこで、様々な検査をし説明を受けてその日は終わった。説明によれば、どうやら新薬の被検体と言うのが自分の仕事の様だ。新薬と言うから最初は少し驚いたが給料も良く、もしも万が一何かあったら全ての責任を取るとの事なので同意した。すると早速、注射を1本打たれ発信機の様な物、これで心拍などを計測いるという代物を体に取り付けて部屋へ戻された。結局、その日もそのまま眠ってしまった。
 それから単調な日々が始まった。朝起きて、食事を取り医務室へ行って徹底的に検査をされ、薬を幾つか注射されて部屋へ戻って眠る・・・。
"トラックをやっていた頃とはえらい楽な生活だ・・・。"
本野はつくづくそう思っていた。これでいて金が口座に振り込まれていくのだから余りにも楽な仕事であり生活である。
"だが・・・本当にこれでいいのかね・・・。"
しばし、本野は1人で考え続けていた。

「被検体01の様子はどうだ?」
「特段異常はありません。思考能力も保たれています・・・最も、肝心の遺伝子の書き換えは予想通り進んでいます。そろそろ第一段階が終了するでしょう。」
「そうか・・・では、明日からは量を倍にした上で、AOも投入だ。」
「了解しました・・・。」
研究所の別の部屋では、複数の白衣の男たちが隠しカメラからの映像と被検体01、本野の状態を見比べていた。そんな事を本野は知らない。

「本野さん、今日から薬増えましたので。」
「あっはい。」
"何時もより量が増えたか・・・。"
本野は注射をされながら思った。今注射されている無色透明の薬品の他に、薄紫をした以下にも怪しげな薬剤を含んだ注射器が研究者の傍らに置かれている。そして、全てを済ますと部屋へ戻った。
 翌日、目を覚ますといつもと違う感じがした。何というべきかははっきりとしないが、寝起き特有の頭の重さがまったく感じられず、むしろ爽やかな爽快感に満ちていた。気分もいい。
"いい寝起きだな・・・。"
そうして、その事を注射の際に研究者へと話した。

「順調の様だな。」
「そのようです。」
「では、このままで行け。焦るなよ。」
「分かってますとも・・・。」

 研究者たちの考え謎露知らず、本野は真面目に彼らの指示に従い信用した。ある時には自らの顔に少々の異変を感じたのだが、薬の副作用に過ぎないと言われそのまま信用しその後は体の変化を感じても特には気にせず、報告してそのままにしておいた。もちろん何だか変だと思う節も無いには無かったが副作用であるとの思い込みには負けていた。

「そろそろ、移したほうが良さ気ですね。」
「そうだな・・・あそこまで変化していると精神もそろそろだ。しかし、副作用であるとあそこまで信じ込むとは思わなかったよ、これまでの被検体はみんなあの段階で失敗したからね。」
「まっそれだけ単純って事ですよ。しょせんはトラック野郎です、脳の作りが単純なのでしょう。」
「それもそうかもな・・・その方が我々にとっては非常に扱いやすい。手配しとけ。」
「はい。」

 男が目を覚ますとそこはあの部屋ではなかった。暗く冷たいコンクリートの部屋であり、窓と言う窓には鉄格子がはめられており、頭が痛い。
「一体何が・・・。」
本野が急な変化に戸惑っていると、突然鉄格子の外に数人の男が姿を現した。研究者たちである。
「やぁ、お目覚めの様だね。被検体01。」
「被検体01?俺は本野だ、そんな名前で・・・。」
「ハハハハッ何を言っているのか分からないね。耳が遠くなったのか?」
「いや、そんな事は無いと思いますよ。」
「おお、その様だな。蔵野の声がこれだけ聞こえるのだからな・・・という事は、おい蔵野そこにいるのは何だ。」
「そこにいるのですか・・・おや?何でしょう、人の様な格好をしながら人ではないものがいますね〜。」
「何をふざけた事言っているんだ、そんなに人を馬鹿にして・・・。」
といらいらした本野が言いかけたその時だった。
パンッ!
と発砲音が辺りにこだました。先ほど自分を指差してきた人物の右手には拳銃が握られていた。
「静かにしたまえ、いいか教えてやろう。お前はもう人間ではないという事を、いい加減気が付けお前の体は本当に変化しているんだ。」
「体が変化だって・・・。」
「そうだ、分からないなら見せてやろう。ほれ。」
そう言って男の背後から蔵野と呼ばれた男がどこからか大きな鏡を持ち出してきた。そして、その鏡には鉄格子と鉄格子の向こうにいる本野の姿が映っていた。
「こっこれは一体・・・。」
本野は鏡に映った異形の生物の姿を見て驚いた。そして、奇妙な事にその生物は自分を見て驚き、こちらが右手を振れば向こうも全く同じに右手を振るのである。

 嫌な予感を感じたまま鏡を見つめている本野に、所長が声をかけた。
「ハハハ、その姿は君の今の姿だよ・・・人では無い人外の者となった君のね・・・ははは、なんて愉快な事だろう。まさか、そこまで単純だとはね。」
「そうですな、所長。ククククッ」
研究員たちはさも面白そうに腹を抱えて笑っていた。しばし我を失って呆然としていた、本野はようやく事態を飲み込むと驚きや嘆きと共に怒りがこみ上げてきた。
「貴様ら・・・なんて事を・・・。」
静かな怒りが体の中に満ちてくる。今、本野の心の中にあるのは笑い転げている自分を騙した研究者たちへの怒りだけであった。そして、次の瞬間彼は自らが驚くほどの俊敏さで動き出していた。もちろん、その動きに研究者達が気が付かなかったわけではない。しかし、対応するには余りにも時間が無さ過ぎた、本野変じた異形の者は太い鉄格子をすぐに突き破って襲い掛かってきたからだった。

「う・・・うぅ・・・。」
 全ては数秒の間に終わった、先ほどまで自らの優位さを盾に笑い転げていた研究者たちは床へ倒れ付し血を流して呻き苦しんでいる。その光景を冷めた目で見つつ、本野は思った。
"一体何故こんな事に・・・とにかく、今は人目の無い所へ・・・。"
タッ
風の様に駆け出した本野は階段を閉じていた鉄の扉を打ち破ると、ちょうどそこにあったガラス窓を突き破って建物の外へと脱出した。そして、辺りに気を配りつつ人知れず深夜の山林の中へと行方をくらました。

 数年後、研究所の辺りで録音されたあるテープが世間で話題となっていた。これは研究所近くの登山道を歩いていた登山者によって録音された物で、一見すると単なる動物の鳴き声の様にも聞こえるのだが、一体何の動物の鳴き声なのか知りたいと録音者が専門家の元へ持ち込んだ。そして、依頼された専門家は我が耳を疑い、知り合いの専門家にもそれを聞かせた結果、これは絶滅したはずの日本狼の声であると断定したからである。
 一時、その辺りの山林には多くの学者やマスコミが殺到し、幻の日本狼を是非この目でと大騒ぎになっていたが、一向に見つからない内に何時しか静かにしておいたほうが良いという意見が広がり収束した。その後、以前以上の静けさを取り戻したその辺りの山林には今でも時折その鳴き声が響いていると報告されている。



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