コンプレックス冬風 狐作
 ある所に1人の男がいた。その名を大井亨太と言う。大学生である彼は一見すると秀才型の真面目な男で成績もよく、背も高くスタイルも良かったので周囲からの評判も高かった。真面目で優秀、そしてスタイルも良いと評判の亨太はそういった顔のほかにもうひとつ別の顔を持っていた。
 それは大の女好きと言う事である、女好きである彼は大学が終わると一旦家に帰って身支度を整えて夜の歓楽街へ行き、女を引っ掛けて遊ぶ・・・と言うよりもただ流しているだけで女の方が寄って来ると言う状況で、近づいてきた女が好みであれば遊び、好みで無かったら適当にあしらってまた流すというのが日課であった。
さすがに365日毎日ということは無かったが一週間に5日は歓楽街へ出かけて女遊びを楽しみ、多い時には一晩に5人も相手をした事があった。

 そんな、ただ流しているだけで女の方から話し掛けて来ると言う某巨大掲示板某板の住人諸氏が聞いたら自爆テロを敢行しかねない日々を過ごす亨太だが、彼は自分の、周囲から十分以上と評される容姿の中にあるコンプレックスを抱いていた。そのコンプレックスとは彼の顔がそんなではないもののやや馬面気味であるということである。
 その悩みを他の人、気の知れた友人や両親兄弟に話しても、彼が話して初めてそうである事に気がつかれる言う程度であるから、そう気にする必要はないのだが彼は何故かそれを強く気にしていた。
"馬面を何とか治したいけど、金が無いからな・・・整形なんてしたら破算だ。それにかけるだけの時間が無いしな・・・。"
と日々悶々と馬面を治すことを思いつつ過ごしていたのであった。

 ある日、何時もの様に歓楽街を歩きながら通りの看板を見ていると、居酒屋や風俗店の派手な看板の中に一つだけ違った気配を漂わせる看板を見つけた。その看板は白地の板に黒字で書かれただけの簡素な物で、そこには『願望鑑定・成就 常福亭』とあった。
"願望鑑定・成就ねぇ・・・本当にかなうのか?叶うんだったら、この馬面を治してもらおうかな・・・まっ、今日良い女が見当たらなかったら寄って行くのも良いな。"
と思い、その時はその場を離れた。そして、1時間後、彼は再びその看板の前へと立っていた。
 その看板の前だけは通りにこんなにも人がひしめいていると言うのに、人の姿が無くそこに立っている彼の姿は良く目立つ。しかし、道行く人はみな自分のことに忙しいのか誰も彼のことなど見てはいない。
"まじめに、今日はいい女が全く見当たらない・・・近づいてくるのは大外ればかりだ・・・こういう日もこれまでにあるにはあったが、今日ほどまではひどくなかった・・・。まぁ、いい。いなかったらこの店に行こうと決めたのだから入ってみるかな。話の種にもなるだろう。"
 そして、彼はその看板の舌の茶塗りの扉を押した。扉はひどく軋んだ音を立てて内側へと開き、中には地下へと続く急な階段があった。足を踏み出すたびにミシミシという音を立てる階段を慎重に下りると、そこにはまたドアがあり、ドアには外の看板と同じ文句が小さな紙に書かれて張り出されていた。
コンコン・・・。
「はい、どうぞ。」
亨太がノックをするとすぐに中から入室を促す声が返ってくる。
"素早いな・・・。"
彼は少し関心しながら、入室するとそこは長方形のコンクリート打ち付けの三畳間ほどの大きさをした空間であり反対側には、大きなタンスをバックに古びた木机を前にして1人の小柄な老婆がこちらを向いて座っていた。
机の前にはこれも木製の年季の行った丸椅子が置かれている。
「いらっしゃい、どうぞお座りになって。」
老婆に進められるがままに、彼は無言で腰を下ろす。彼が座ると老婆は彼をジッと見てこう告げた。
「・・・おまえさん、顔が悩みだね。ふむふむ馬面を治したいとな・・・。」
「何故、それを知っているのですか。」
まだ、何も言っていないと言うのに自分の悩みを見抜いた老婆に対して亨太が驚きの声を上げると、彼女は満足そうに微笑んで更に続けた。
「なに・・・その様な事を悩むことは無い、すぐに直して進ぜよう・・・。」
「直すって、一体どうするのですか?簡単には直せないと思うのですがね・・・。」
彼が率直な感想を述べると老婆は言った。
「ババの手にかかれば、直せぬものなぞ存在せん・・・なに、簡単なこと・・・ただ、これを飲むがいいだろう・・・。」
そう言うが早いか老婆は背後のタンスの中からある小さな小瓶を取り出すと、それを亨太の前へと差し出した。
コトン・・・
小瓶の置かれる音が静寂に包まれた地下室に異様に大きな音で響く。いや、ただそう感じているだけかもしれないが・・・。その音に彼はつばを飲み、そして小瓶をジッと見つめた。小瓶の中に入っているのは無色透明な液体であり、特段異様なものは感じられない。試しに瓶の蓋を外して匂いも嗅いだが何ともない。最も、この辺り一体を取り囲む雰囲気こそ異様であろう。
 狭い古ぼけた地下室に老婆と若者、そして謎の液体をたたえた小瓶、まるでファンタジーの王道的な展開である。
「では、これを飲めばいいのですね。」
いづらくなった亨太が口を開いた。
「そうだ・・・ただ、飲むだけでよい・・・。」
「わかりました、ではお代の方はどれくらいです?」
「代金はよい、後でババが直々にもらいに行くからの・・・。」
「いいんですか?」
「ババが良いと言っているのだからの・・・まぁ、その望み成就の頃とだけ伝えておくかの・・・。」
そして、しばし宙を眺めて続ける。それっきり老婆はまったく口を開かないので亨太は無言で一礼して部屋を出て、階段を登りだした・・・。

 気が付くと彼は自室のベッドの上に寝転がっていた。
"何時の間に、家に戻ってるんだ?"
彼はあの老婆と何をしてきたのか克明に覚えていた。しかしどうやって、家まで帰ったのか、その部分の記憶がきれいさっぱりに抜け落ちていたのだ。
"本当に・・・どうやって帰ってきたのだろう・・・。"
亨太は枕元の机の上に置かれたあの老婆から手渡された小瓶が、満月の光を受けて静かに輝いているのを見て考えた。しかし、一向に思い出せないまま時間だけが静かに流れていった。

 その後、亨太は気分治しにその小瓶の中身を一気に飲んで眠りに付いた。そして、翌朝目を覚まして鏡を見ると不思議なことに彼がこれまで気にしていた、あの微妙な馬面はその痕跡すら残さずに消え去っていたのだ。この事には彼自身、大いに驚いた。
"やはり・・・あのおばあさんの言うことは本当だったのか・・・。"
彼はしみじみと鏡の顔と手元に置かれたあの小瓶を見比べて痛感した。そして、喜びに満ちた顔をして、大学へと出かけていった。

 そして、あの日から5年の歳月が過ぎ去った。大学を卒業した彼はある民間企業に勤務する会社員となっていた。
 社会人となってからは以前のように女遊びをすることも無く、ただ静かに平凡な毎日を送っていたそんなある日のことであった。彼が自室にて眠っているとふいに目が覚めた。一度眠ってしまうと中々目を覚まさない彼が、眠りの途中で目を覚ますのは大変珍しいことである。
"痒いな・・・なんだ?この痒みは・・・。"
その時、彼は背中に異様な痒みを感じていた。しばらくベッドに背中の皮膚を押し付けるようにして我慢していたが、次第に広がる痒みの範囲に異常を感じて一体どうなっているのか確かめようと、ベッドから降りた瞬間、
バタッ・・・。
  彼は足を踏み外して、その場に倒れてしまった。そして立ち上がろうとしたその時、彼は恐ろしいものを目にした。
「なっなんだこれはっ!?」
彼が思わず、目を丸くしてそう叫んだもの・・・そう彼の視線の先にある彼の右手の先の指は黒く癒着し硬い物体へと転じていたのである。
"蹄か・・・。"
不思議と彼はそれを見ただけで冷静にそれが何であるかを判別していた。だが、それ以外の場面では大いに慌て、衣類で左手を見るとそちらは半ば人の指の形を残しつつも、癒着して蹄へと転じている途中であった。
"まさか、足も・・・。"
と足を見れば既に足のアキレス腱の辺りは人間のそれとは違う形態となっており大腿部から下は人の皮膚ではなく、皮膚の上に密集した栗色の毛が生えていた。腰に手をやると、尾てい骨付近からは何やら太い毛の束が生え、腹に手をやるとこれまでついていた脂肪が無くなり、変わりに隆々とした筋肉が盛り上がっている。
 そして、どこかしこの汗まみれの皮膚の上には毛、つまりは馬の獣毛が静かに勢いよくが湧き出すように生えていく。
"俺は・・・一体どうなっしまうんだ・・・人じゃなくなっていくなんて・・・。"
彼は心の中で今の状態に非常に慄いていた。それは当然の心理であったといえよう、もしこの様な異常な状況下において平然としていられる人がいたら是非お会いしたいものである。
 そして、ついにこれまでまっすぐ正面に視野の広がっていた目が左右に移動を始め、視野の領域が後ろへと拡大していく。顎と鼻の下が盛り上がったかと思うと、一気に前へ伸びていく、耳もこれまでよりも敏感になった様に感じられる。
 なれぬ体を必死に操って洗面所へと行き、鏡に映った変わり果てた自らの姿を見て落胆と驚きを感じたその時、突然、背後から静かな笑い声が聞こえた。
「だ・・・誰!?」
その声に反応して後ろを振り返るとそこには、黒一色のローブを着込んだ小柄な人が立っていた、そして見ている前でその顔にかかったフードを外すとそこにあったのは、あの夜の老婆であった。
「約束通り、代金の回収に来たからの・・・ほほ、予想通りじゃ・・・栗毛の見事な馬人になったわい・・・。」
そしう手元のかばんの中から取り出したひも状の物を取り出すとそれを広げて顔へとかけた。かちっかちっ、冷たい金属音が敏感な耳によく響きそして口の中に異物が入れられる。そう、はみをかけられたのである。
「さて、行くぞ・・・ここはお前の世界ではないのじゃ・・・。」
「はぁ・・・ひぃ・・・。」
はみをかけられた彼は従順になって老婆に引かれるがままに、何時の間にか洗面所の壁にあいた大きな穴の中へと入っていった。2人の姿が穴の闇の中へと完全に消え去ると、穴は次第に収縮しいつしかそこには以前と変わらぬ白い壁だけが存在していた。

   数日後、珍しく無断欠勤をした彼を心配した同僚が大家と共に彼の部屋を訪れた。だが、鍵のかかった部屋の中に彼の姿は無く、外出した様子も全く見られなかった事から、すぐに警察に通報し、警察は事件・事故か故意の失踪のどちらかと見て捜査を行ったが彼の行方は全く不明なままであった。そして、いつしか彼の捜索は打ち切られ、裁判所の裁定により死亡判定が下されて一応の決着は着けられたのであった。当時、彼の件にかかわったある捜査官は後にこう話したという。
「現場には何故か、馬の毛とも人の毛とも判定される謎の毛が多量に散乱していた。」
と・・・。


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