運命〜酉年記念〜冬風 狐作
 大学受験を後半年後に控えたその夏、自室にこもって受験勉強をしていると不意に外から蝉の声が聞こえてきた。
「ミーンミンミンミーン・・・。」
オスがメスを求めて必死になつてだしているその鳴き声に僕はどこか懐かしさを感じた。しばらく、それを聞いている内に僕の脳裏にある光景がよみがえって来た。どこまでも広がった青い田んぼに、一本道、用水路を水がとうとうと流れるその場所には人口的な音は時折思い出したかのように聞こえるだけで、蝉や風といった自然の音が支配しているその空間・・・。閉じていた目を開けた時、僕は無性にそこに行きたくなっていた。
"勉強もやるとこはやったしな・・・気分転換としゃれ込むか・・・。"

 30分後、僕は1人で田んぼの中の1本道を自転車を押しながら歩いていた。そこは先ほど蝉の声によって思い起こされたあの場所である。自宅から至近の距離にあるここには小学生の頃までは毎日のように一人で遊びに来ていたもので、もちろん、友達と共に遊びに来た事もあったが、外で遊ぶよりもテレビゲームやカードゲームといった室内で遊ぶ事を好む友人達はすぐに飽きてしまうので、いつしかここに来ることは無くなってしまった。それに対して僕は友人らが好むようなテレビゲームやカードゲームの類は好きではなく、そんなことをするのなら1人でここで遊ぶかそれとも勉強している方がいいと平然と言う変わり者であったので、親や先生たちからは真面目な子として見られていたが、友人達からすれば自分たちのやることに対して何かにつけ理屈を言ってくる変わった嫌な奴としてしかなく、次第に疎遠になって必要な時以外は付き合わなくなっていた。
 だが、僕はさして気にはしていなかった。むしろつまらない友人たちと距離を置く事が出来て歓迎していたほどであった。そして、両親もその様なつまらない事に人生を費やす様な人とは付き合わない方がいいという考えであったので、特に何も言って来なかったのでやりたい放題であった。それ故、高校3年生となった今でも僕には知人と呼べる人は数限りなくいるが、友人と呼べる人は片手で足りる程度しか存在していない。

 しばらく炎天下の一本道を歩いていくと青い田んぼの海の中にまるで島の様に忽然と鎮守の森が現われる。この辺り一体の氏神様を祭っているという神社のあるこの森は、小高い丘になっており頂上からあたりが一望できる素晴らしい場所であった。僕は階段の脇に自転車を立てかけて鍵をかけると、昔を思い出しながら参道の階段を登っていった。
「ミーンミンミンミーン・・・」
「ジーワジーワジーワジワジワ・・・」
生い茂る雑木林の中の参道を歩いていくと、辺りは完全に幾多の蝉の鳴き声に包まれていた。蝉の声以外には何も聞こえない、まるで自分の存在すらもこの音に溶け込んでしまったかのような錯覚さえ感じる。その中を静かに歩くこと数分参道が軽く勾配をつけて曲がった先に半ば苔むしている格好の古ぼけた鳥居が姿を現し、その奥には同じく年季の入ったお宮が鎮座している。
"久しぶりだが・・・何度見てもいい光景だよな・・・。"
そうしみじみと鳥居の前に立って思うと鳥居をくぐってお参りをした。賽銭を投げ込み、果たして回収する人がいるのかは不明だが、鈴がなくなっていたので手持ちの自転車の鍵に付いた鈴を盛大に鳴らして手を叩き一礼する。一通りの事をやり終えると今度は神社の裏手へと回り、草生したその場所をかき分けていくと山肌に今にも消えそうなか細い山道があった。
"まだこの道生き残っていたのか・・・懐かしいねぇ。"
半ば獣道と化したその道を彼は静かに勢い良く歩いていった、道は丘を一周するように緩やかに登り頂上へと達する。頂上には古ぼけた木製ベンチがあったのだがさすがに今となっては朽ち果てて草むらの中へと没していた。僕は適当な斜面を見つけるとそこに腰掛けて、しばらくボーっと眼下に広がる水田地帯と少し離れた町を見つめていた。

 気が付くと辺りは夕焼けで真っ赤に染まっていた。周囲の草の様子を見るとどうやら僕はいつのまにか寝入ってしまったらしい、あくびを一つして立ち上がり服を軽く払って僕はその場を後にした。  家に帰り着いた時はまだ薄っすらとだが夕焼けの名残で当たりは明るかった。だが、鎮守の森と比べるとどよんとした暑さが辺りに満ち非常に居心地が悪かった。夕飯を食べ部屋へ戻ると再び勉強を開始した。復習中心の内容なのでさして目立った事は無いのだが、やはりあのような清々しい環境で半日を過ごすとこの様な空気の元でも何時もより良く学ぶことが出来たような気もしなくは無かった。

 翌日、僕は今度は朝からそこへと出かけた。両親は仕事で早々に家を出て深夜になるまで帰っては来ない上に、鉄道マニアの弟は弟で東北のローカル線を乗り潰して来るらしくあと一週間は帰ってこない。という訳で昼間、家にいるのは僕だけなのである。そんなわけで僕には非常に大きな時間を自分の裁量で使う権利があった。そこで僕はせっかくの権利があるのに使わないのはもったいない、という訳で今日も再びあそこへ出かけることにした。
 昨日と同じ道をゆっくりと自転車をこいで走っていき、階段の脇に自転車を止めると軽く神社に一礼して、あの道へと入った。道を半ばまで来た辺りで僕はわざと道を外れて草むらの中へと足を踏み込むと斜面を駆け下りていく、
"確かこの辺りを降りていったところだったよな。"
僕が今目指しているもの、それはこの丘中腹付近の窪みにある天然の池である。名前も無く地図にすらその存在が記されていない池であるが、それなりの大きさはあり何故そう言ったものに記載されていないのか不思議に思えるほどだ。
"まぁ・・・地図に載せられて心無い連中に荒らされるよりはましかもな。" 
そして、5分ほどの薮漕ぎを経て軽く斜面を上がるとそこにその池はあった。十年ほど前、最後に見た頃と殆ど変わらない姿で池は静かにそこに存在した。鬱蒼とした木々が池の上へと枝を張り出し、池の中ほどにある島から生えている木の枝と共に上空から池が見えないようにしており、薄暗いがその枝葉の間から漏れてくる木漏れ日とそれに反射する池の水面が何とも言いようが無い美しさを醸し出している。池の岸は一部葦やガマが生い茂っている所もあるものの、そう言った場所は沼と化しているので足を踏み込まないが、下草だけ生えた場所からは容易に接近できる。僕はしばしそこで時を過ごすと静かに、またここに来る事を誓って立ち去った。

 そして、あの夏から数ヶ月が経過した。11月の推薦入試で見事志望校の志望学部に合格した僕は急に暇になった。確かに、合格通知から数週間の間はやれどこに住むだの何だのと忙しかったが、それらの準備も終わってしまうと自分にはやる事が無かった。それで試験勉強の合間に簡単に流した本などを読み返して時間を潰していた、しかし、それでもどこか空虚さが漂うのはどうもいけない。退屈している内に僕は身支度を整え、自転車に跨ると自然と足はあの鎮守の森へと向いていた。

 冬を迎えた鎮守の森は夏とは違って非常に寒々しかった。これはこの森の木々の殆どが広葉樹林で杉などの針葉樹林は神社の境内にわずかしかないことが影響しているのかもしれない、青々とした苔の生えていた参道は今は色とりどりの落葉で埋め尽くされている。人が歩いた気配すらない、それは当然だろう。かつてこの神社を守ってきた人々は区画整理による立ち退きで川向こうの地域への移転を余儀なくされ、それと前後して積極的に活動を続けていた老人たちが次々と死んでしまった。残された若者達の間にはそう言った意識は薄く、当初こそ老人たちの活動を引き継いで神社の掃除などに訪れていたがその内にぱたりと来なくなってしまったからだ。
 神社を守ってきた老人たちが元気であった頃からこの神社の存在は新興地である町の住人には殆ど知られていなかった、そもそも色々な場所から寄り集まった人々の集合体でもある町には、神社や寺といったものは初詣や七五三といった冠婚葬祭の時以外は用の無いといった意識が強かったこともこの神社にとっては不運だったのではないだろうか。その結果、この神社と鎮守の森を訪れるのは僕みたいなごくごく一部の変わり者しかいなくなってしまったのである。

 まずは志望校に合格したとの報告とお礼参りを済ますと再びあの道を歩んで頂上へ登った。眼下には夏とは異なる荒涼とした風景が広がっていた。稲は全て刈られた田んぼ、灰色のコンクリートの建物で埋め尽くされた町とその上空のスモッグ、空気が澄んでいるせいか川向こうの駅を発車したと思われる電車が鉄橋を渡る音が良く響いてくる。
 数分ほどそこに滞在すると山を降りてあの池へと向かった。池までの道のりは枯れ草と落葉の中を歩くだけとあって非常に楽であった、そして池はそこに静かに存在した。僕の期待は裏切られることはなかった。
 池の岸の枯れ草の上に腰掛けているとどこからか一羽の鳥がやってきた。その鳥はこれまでに一度も見た記憶の無い鳥であった。全体的に黄味がかかった金色に近い毛に被われているカナリアの様なその鳥はちょんちょんと跳ねる様に飛びながら彼の元へとやってきた。そして、首をかしげてジッと彼を見つめてくる。
"変な鳥だな・・・餌が欲しいのか?やってやりたいが、手持ちが無いから出来ないな・・・。"
そう思いながら彼もまたその鳥を見つめ返した。しばらく、鳥と向き合っていると不意に鳥は飛び立ち、彼の周りを数回周回すると少は離れた木の幹へ止まりまた静かにこちらを見つめてくる。
"何か、自分を呼んでいるみたいだな。まぁ、暇だから行ってみるかな・・・。"
鳥の行動に興味を抱いた彼は立ち上がってその木へと近づいた、それを見た鳥はまた飛び立つと少し離れた木へ止まり、彼が近づくとまた・・・という動作を繰り返した。
"何かおちょくられているみたいだな。"
彼は好奇心を刺激されて鳥を追って、何時の間にか森の奥へと入り込んでいた。

 不意に気が付くと、自分の前には高い崖がそびえていた。目の前の切り立つ崖には人一人が立って入れるほどの洞窟が開いており鳥はその中へと入っていく。
"こんなところに洞窟があったとは・・・気が付かなかったなぁ。"
鳥に続いてさして疑問も抱かずにスッと洞窟の中へと足を踏み入れる、洞窟の中は当然のことながら真っ暗であったが不思議なことに鳥が金色に輝いているので、何かにつまづいたり、ぶつかることは無かった。さすがに鳥が光るという時点で彼は心中に何かしらの違和感を抱いたものの、ここまできたからには最後まで見て行かないとという好奇心と使命感・義務感が不審の思いを完全に上回り、足を進めさせていた。その内に洞窟は次第に大きくなり、そしてカーブらしき所を曲がるとその先には出口が見えていた。外の光が差し込んでくる。
"出口があるとはね・・・どこへ通じているんだ?"
そして、自分の前を行く鳥が洞窟から抜けたと思ったその瞬間だった。
カッ!
「うわっ!?」
突然鳥の小さな体が膨張を始めたかと思うと炸裂したのだ。あまりの眩さに目を閉じるその瞬間、炸裂し四散したその光が人のような形となって自分へ向かってきたのが見えた。何かを思いかけたその瞬間、彼は全身に強い衝撃と熱を感じてその場に倒れ伏せ気を失った。

"あつ・・・い・・・何だ・・・この・・・あつさは・・・。"
彼は全身が激しく熱を持っているのを感じた。カッカッとしたその熱は体の芯から発せられており、容易に冷えそうにはない。意識が朦朧とする中で彼は這うようにして洞窟から出ると、そこは冬だというのに青々とした下草が敷き詰められ、その真ん中には楕円状の半円の窪地がありそこは地肌が露出していたのである。涼を求めていた彼はその窪地の中へ何とか入り込み、地へ体の熱を逃した。土のひんやりとした感がこうも火照った体には心地よく、熱が次第に収まっていくのを感じつつ彼は静かに気を失った。

 彼が気を失ってからしばらくすると、彼の体とその周辺に変化がおきた。まず彼の寝転がっている窪地の周りの草が急に伸びたかと思うと、円を描くようにして窪地の中の彼を包み込み始めたのだ。それに呼応するかのように彼自身も体を小さく曲げると、その口から白い糸のような一筋のものが吐き出され草と共に自らを取り巻いた。彼を取り巻いたその楕円形の物体の表面は次第に硬くなり白く変色し、大きな卵へと転じたのである。時折その卵は小さく揺れる事もあったが、それ以外は微動だにせず上から注がれてくる月明かりに淡い光を反射していた。

 やがて一週間が経過した。外の世界では彼がいなくなった晩に家族が捜索願を出し、警察と地域の消防団が彼の捜索に当たっていたが、あの鎮守の森の入口で彼の自転車が見つかって以降全く進展していなかった。警察犬に臭いを追わせたが、どの犬もあの池の場所までは行くもののそこで歩くのを止めてしまう。そこで警察は池の中を捜索したが彼はおろか遺留品と呼べるものはその池、そして鎮守の森全体から見つかることはなかった。家族、中でも母親は半ば半狂乱になりかけて必死で父親と弟に抑えられるという様にまでなり、テレビ等でも大々的に取り上げられたが一向に手がかりが見つからないのが現状であった。そして、その頃彼は卵の中で眠りについていた、何のために眠っているのか、それは彼にはわからなかった。ただ、いまの自分はこの中で眠っているだけでいいと無意識の中で理解していた。

 そして、更に3日がたったその日、不意にそれまでどんなに強く叩いても割れなさそうなその卵の殻に一筋のヒビが走った。
ピシッ、ピシピシ・・・。
弾ける音と共にヒビの数は一気に増え、そして、
バシッーン!
一際大きい音が空気を振るわせた。辺りの空気がまだ余韻を残している中で、真っ二つに割れた空の中からは1人の人、いや人の体に鳥の顔、全身に金色の羽毛を生やし、見事な羽と孔雀の羽のような形をした見る角度から様々な色に見える尾羽をもった鳥人が姿を現した。その鳥人は膝を追った状態で顔を上に向けるとその喉から見事なこの世の物とは思えない美しい鳴き声を出して辺りを震わせる。
"・・・はっ・・・僕は一体・・・。"
その鳴き声をきっかけに彼は意識を取り戻した。先ほどの悪夢とも言えそうな熱はすっかり引いており、体も何だか軽くなったような気がしなくも無いさっぱりした気持ちであった。そして、顔をぬぐおうと軽く手を上げたその時、その目は恐るべきものを目にした。それは自分の腕である、比較的細めな自分の腕は細身ながら筋肉質で脂肪のすっかり落ちたものとなり、表面には鱗、とは言え魚や蛇などの鱗ではなく鳥類の足を覆っている鱗で肘のやや先から全てが被われ、指は五指のまま爪は鋭く延びていた。それは左腕もそうであり、足も膝の辺りからであった。ただ、足の場合は指が前に3指、後ろに1指という形に変容していた。
 自分は人ではなくなった、それだけでも大きな驚きであるのに彼には更に大きな驚きが用意されていたのである。
 彼が驚きのあまり呆然としながら、ふと胸に手をやるとそこにはこれまでは無かったふっくらとした弾力のあるふくらみ、筋肉のふくらみとは違う柔らか味のあるふくらみが両胸に存在していた。
"これは女の・・・。"
彼は胸に出来た双球のふくらみ、乳房を見ながらそう考えた。しかし、その想像は否定された。いや否定ではなく半ば肯定半ば否定という灰色の決着であった、何故なら彼は男でありながら女でもあるという両性具有、いわゆる「ふたなり」となっていたのである。
"一体全体、どういう因果でこういうことになったんだ・・・。"
 その心の中は不安と疑問で満ち溢れていた、だがそう深刻でもなくて時が経つにつれ変わりに期待と使命感、そして喜びがその領域を増していった。同時に何故、自分がこうなったのか、そして何の為にかという事をどこからともなく理解していったのである。

 数時間後、彼の表情にはもはや迷いはなかった。あるのは先にも述べたようにこれからへの期待と使命感、そしてこうなった現実に対する喜びに満ちていた。それまで垂らしていた頭を目を閉じたまま上にスッとあげると彼は立ち上がった。金色の中に濃茶と赤い鶏冠状の羽毛を生やしたその顔は、不意に瞳を開けると何かを決意したかのようにうなずきと空へと飛び立った。それは何の衝撃も音すらしない静かな飛び立ちであった、彼は眼下に広がるかつて自分が人として住んでいた町を眺めて想った。
"これは運命だ・・・人としての自分は仮の、一時の運命に過ぎず、これからが自分の本来の課せられた運命なのだ・・・。"
そして、再び顔を前方へと向けるとその背中の羽を力強くそして穏やかに羽ばたかせて夜の闇の中へと消えていった。
 時は折りしも12月31日にして1月1日でもある年の変わり目の瞬間であった。

 それから数ヵ月後、アフガン駐留米軍に一人の男が仲間を引き連れて出頭してきた。同時にイラクでもある男が同様に駐留米軍の元へ姿を現した。それ以外の地域でも同様の事が起きた。極めつけはある半島北部の国家で革命が発生したことであろう。世界はその一連の出来事に大いに驚き、そして歓喜した。これで戦争が終わると・・・。
 ホワイトハウスの主は意気揚々としていた。そして、自らの勝利を1人で喜んでいた。だが、数分後突如としてもたらされた情報に仰天し戸惑いを隠せなかった。運命は公平であったのである、世界を騒がした者達には司法の手を、そしてそれを利用した者には国民の手を向けさせたのであった。数日後彼は辞任した。一方で、それから12年は世界各地で大規模な地震や災害の相次いだ、先進国・更新国を問わずに多くの人々が死んでいった。特に地震と新型伝染病による被害は大きく、12年で世界の人口は64億人から20億人へと激減した。だが、結果として人口の減少により自然社会と調和した共生社会が実現したのは皮肉としか言いようが無い。以後世界は平穏化した。
 30年後、日本のある識者はこういう発言をした。
「酉年でしたから不死鳥が現われて天下泰平を望んだのかもしれませんね・・・。」
と。

 不死鳥、それは生と死を司り神に仕え、その意思を伝えるという神聖な存在である。


 完
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