冬風 狐作
 昔々、この地で大きな戦があった。元をたどれば、この地を納めていた大名一族の内紛を単に発するもので国中が双方の勢力に二分され、幾多の小競り合いの果てにこの戦へと至った。両軍が総力を挙げて臨んだが故に早朝から夕方まで長時間に渡って繰り広げられた戦いの後、この辺り一体は無数の人馬の遺骸で埋め尽くされ、地面を見る事が出来なかったと言われている。

「はぁはぁはあ・・・ここまで来ればもう大丈夫か・・・。」
闇に染まりかけた山奥の獣道を1人の武将が1頭の馬に跨って息を切らして歩いていた。立派な鎧兜を身に付けたその武将は、今回の戦にて負けた側の総大将の息子であった。
"父上は果たして助かったのだろうか・・・。"
もうここまで来れば追っては来ないと少し安心したその男は、共に迫り来る敵の中へと馬に跨って突撃した総大将、つまり父親のことを気遣っていた。男自身は果敢に敵兵を薙ぎ踏み倒し、突破する事に成功したが自分よりも高齢な父とは戦いの最中に途中ではぐれてしまったのである。最後に見たその姿はその首を落とさんとする敵方の馬に乗った武将を切り倒していたものであるが、その後は分からない。
 それから数刻が経った頃、清水が湧き出た池を見つけた男は馬を止めてその水を飲んだ。そして、馬にも飲ませてしばしの休息をとり、再び動き出したその瞬間だった。
ヒュッ
 自分と馬の息遣い以外には何の音もしないはずの空間に、風を切る音が響いた。男がはっとそれに気が付いた次の瞬間、首筋に微かな痛みを感じた。
"しまった・・・やられたか・・・どこにいる。"
と抜刀しようと手をかけかけた時、不意に視野がぼやけ始め全身に悪寒が走り始めた。そして、それは刻々と激しくなっていき思考力も落ちてきた。
"毒矢・・・か・・・。"
ドサッ
意識が朦朧とした男は体から力が抜けて、馬が動く僅かな振動によって地面へと落下した。途端に異変を察した馬はいななき、そしてまた矢が今度は馬へと放たれる。
「ブッヒィヒィィーン!」
数発の矢が馬に刺さると馬もまた、大きくいなないて地面へとその巨体を倒した。まだ辛うじて意識の残っていた男は何とかその麻痺しかけている体で地面を這って馬へと近付く、
「佐竹丸・・・大・・・丈夫か・・・。」
主人の言葉がわかったのか、佐竹丸はその目をこちらへと向けた。しかし、口からは泡を大量に吹いておりもう先は長くない事、そして同じく自分もそうである事を彼は感じた。そして、再び声をかけようとしたその時、彼は背中に熱いものを感じた。
「・・・馬と主人で仲が良いのは相変わらずじゃのう、武藤殿。」
「お・・・前は・・・筑前・・・守だな・・・。」
「おや、分かってしまわれたか。まぁ良い、お主の首はわしがお館様の所へ丁重に届けてやるから安心せよ。」
「父上は・・・佐竹丸は・・・。」
「お主の父上は、捕らえられ首を刎ねられた。そして、この期に及んでも佐竹丸とは・・・お主の中では父上と佐竹丸とは同一なのだな・・・全く麗しいのう。では、切らせてもらおうか。」
「好きに・・・しろ・・・。」
ヒュッ・・・ズシャッ!
男の首は桶に入れられて、その場から消えた。そして、その場には首のない男と泡を吹いて息絶えた馬の遺骸だけが何者にも葬られること無く放置されていた。

 それから一体どれほどの年月が経ったのだろう。戦乱の世は去り、天下泰平の世を迎えた世間は再び変革の時代へと差し掛かっていた。治安は悪化し、幕府の権威は最早風前の灯になりかけたその時代、ある宿場町で一騒動が起きていた。
 騒動の原因となったのはある1人の旅男であった、その男は江戸から京都へ向かっている途中に立ち寄ったその宿場にある遊郭に入った際に、ある1人の遊女と気があって恋仲に落ちた。幸い、小金を持っていた男は遊郭の経営者にその金を示して、女を引き取らせてほしいと懇願しが、それは許されずむしろ男と遊女の関係を知った人々によって2人は遠ざけられてしまった。
 近くにいるのは分かっているのに会いたくても会えない日・・・2人は別離される中で相当な悲しみを味わっていた。そして、とうとう我慢ならなくなった男はある嵐の日の深夜、遊郭へ侵入しその女の元を訪れると、共謀して遊郭より脱出したのである。しばらくってそれに気が付いた人々は、ちょうど嵐が止んでいた事から追っ手を出して2人を追った。
 必死になって走って逃げた2人だが、大挙して追いかけてくる追っ手には敵わず街道脇から続く細い山道へ逃げ込んだ。途中で女が足を痛めたのでそこからは男が背負って悪路を駆けた。しかし、いくら愛する人の為とは言え男の体力にも限界というものは存在する。そして、とうとう限界に達した男は木の根に躓いてその場に転んでしまった。投げ出されたものの、何とか体制を維持できた女が懸命に男を励ますが男は精も根も尽き果てており、いくら動きたいと願えど動かす事は出来なかった。しかし、追手はもうすぐそこまで来ている。女はそして男は偶然そこにあった観音像に願った。
"助けを・・・。助かるのならどうなっても良い。"
と、奇しくもそこは数百年前にある武将とその愛馬が生き絶えた場所であり、その観音像はそれを弔うために建てられたものであった。
 もう追手は目前に迫ったその瞬間、倒れ臥していた男は自分の体にどこからか力が漲って行くのを感じた。そして、女もまた意識が朦朧としていくのを感じた。
"一体全体どうしたことなんだ・・・。"
すると男の体に変化が生じた。急に男は立ち上がると地に四つん這いとなった。すると、それを見た女は脇に落ちていた一本の長い棒を掴むとそれに跨り男の脇腹を、馬に乗った時の様に、乗馬経験の無い女がした。すると、男は四つん這いのまま驚くべき速さで元来た方向、つまり追手の迫っている方へと道を下り始めた。

 2人を追ってきた々は前方から何かの音が聞こえるのに気が付いた。それは馬の蹄の音の様であり、馬などいる筈の無いひんな山奥に何故その様な音がするのか訝しがり、前方を注視していると突然、その暗がりの中より1頭の栗毛の馬とそれに跨る勇壮な鎧兜を身に付けた武将が抜刀してこちらへ迫り来るのを見て仰天した。慌てて逃げようとする者もいたが、中にはそれに切りかかろうとしたいた。しかし、その浪人の首が浪人が切りかかる前に鎧兜の謎の武将に斬られたのを見て人々はパニック状態に陥った。誰もが助かろうと我先に逃げ出したが、馬と武将はすぐに追いつき片っ端から彼らを斬り踏み殺す。そして、追われる者達にとって永遠と思われる時間が過ぎ去った時、そこに馬と武将の姿は無く数多くの無残になった遺骸がその狭い道を埋め尽くしていたのを、運良く生き残った僅か数人の者達は見た。この件はすぐに最寄の代官所へと連絡されたが、余りの惨状に血に不慣れな代官所の武士達は遺体だけを回収させて隠密にそれを処理してしまい、結局謎の馬と武将の正体は分からずじまいに終わった。

 一方、男女2人は気が付くと自分達が見も知らぬ場所にいる事に気が付いた。不思議な事に、男の衣服は襤褸だらけになっていたものの、2人共先程のような疲労は全くなく、むしろ力が全身に漲っているの を感じ、喜び合うと衣服を整えてから男の家のある江戸へ行き、結婚して幸せな生涯を過ごしたと言う。
 そして、あの馬頭観音はどうなったのかは誰も知らない。



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