何故此処にいるか、何のために此処にいるのかもこの部屋に来てから段々と忘れてきている。自分のあらゆる感情がぼやけてくる、そんな感覚が日を増すごとに襲ってくるのであった。
ただ、一日に数回来る『人』が部屋にやってくると、身体の奥底から沸々と湧き出すかのように、今までに感じたことが無いほどの「怒り」という感情が湧き上がってくるのだ。
この無機質な部屋と、拘束されているのが恐らくは原因だろうが、その「怒り」という感情が研ぎ澄まされていき、逆に他の感情は擦り切れていくように無くなっていく。毎日が怒りの感情に流され、いつの間にか疲れきって意識が無くなっている・・・。その生活のループであった。
そのループから断ち切る瞬間がふと訪れたのは突然であった。
その日も、変わらず『人』は僕を観察・・・、いや監視しながら精神を弱らせていった。
人が皆、寝静まる夜中・・・。
激しい音と共にそいつは僕の前に現れた。どうやら厚い鋼鉄製のドアを蹴破ってきたようだ。いつもなら僕が少しでも身動きすると部屋に来る『人』が、不思議と出てはこないでいた。
「・・・グゥ・・・・!!・・・・・・ギャァ・・・!!!」
僕は体の至る箇所に固定してある鎖を引き千切らんとするように目の前に現れた『人』を前に爪で引き裂こうと威嚇しながら腕を必死に振ろうとする。しかしながら、身体を拘束している鎖は無常にも動きを制限してしまい、まともに動くことは出来なかった。
「・・グルル・・・・・ダ・・、誰ダ・・・、オ前・・・!!」
喉から搾り出すように出た僕の声。これが僕の出せる限界の声であった。
「そんなに警戒しないで・・・、困ったな・・・。私を見て・・・!」
そう蹴破ってきた奴は言った。
僕は荒い呼吸をしながらもそいつを見た・・・。
「・・・・オ・・・、女・・・ノ子・・・・?」
そう、あの分厚いドアを蹴破ってきたのはなんと女の子であった。僕と同じ歳ほどの背丈で蹴破るほどの力も無いような・・・、それ以前にどうやって此処まで辿り着いたのさえわからなかった。
「そう・・・、私も貴方と同じ・・。私も貴方と同じようにここで捕らえられたの・・・。」
彼女は少し落ち込んだように話し始めた。
“ボ・・・・、僕ト一緒ダッテ・・・・?”
あまり声が出せないが驚いた表情はたぶん伝わっているであろう・・・。
「そして貴方のように此処で貴方のような『身体』にされたわ・・・。」
そういうと彼女はおとなしくなった僕の顔を長く伸びた上顎から徐々に眉間に優しく触れていくと、彼女の手が光り始める。
「・・・・・!!!」
そうしてその光の中で僕の記憶を封じ込めていた記憶の枷が消え去り、色鮮やかに記憶たちが甦る。
「ソウダ・・・、僕ハ此処デ・・・・。」
此処で捕らわれるまでの数ヶ月の出来事が鮮明に思い出される・・・。
・・・・・・数ヶ月前・・・・・・。
僕は此処に連れて来られた。家に帰るときに僕の背後から誰かが近寄り、そして襲われた。
連れて来られてから早々に僕は動けないように手術台のような大きなテーブルに寝かされ、手足には鋼鉄製の枷が取り付けられ、身動きが取れなくなった。もっとも、既に全身麻酔されているので、抵抗すら出来ない状態であったが・・・・。
しばらくすると数人の白衣を着た『人』達が集まり始め、僕の身体に何かの薬剤を注射していった。薬剤を打たれてからまもなく、僕の身体には徐々に変化が生じ始めてきた。
身長が少しずつ伸び、ある程度までになると止まった。そして身体の皮膚が白色に変色し、更には堅く硬化し始め、まるで卵のように変化していく。その卵からは卵自身が動いてしまうほど、激しい鼓動が一定のリズムで刻まれていた。
皮膚が変じた卵の中ではそれまでの身体を根本的に作り変えようと変化を急激に進めていく。
骨は鉄の如く頑丈で太く、皮膚は厚くそれでいて鎧のように如何なる物でも弾くように丈夫に変化していく。
そして三日三晩激しい変化が彼を襲い、ようやく卵が動かなくなったのは一週間があっという間に過ぎた夜中であった。
硬く変化した皮膚にひびが徐々に入り始め、さながら「羽化」していくようであった。
『・・・・グ・・、グルル・・・。』
目が開かず、何がどうなっているのかが解らなかった。たた、自分は何かから「出てきた」というのははっきりと解った。身体が少し濡れているような感じも、同時にその感覚を強める要因になった。
暫くすると辺りが騒がしくなってきた。どうやら、「羽化」した僕に気がついたのであろう。
「おお・・・・!!せ、成功したのか・・・・?!」
周りは歓喜に包まれている中、僕はただまじまじと見つめられているだけで、そんな状態ではなかった。今までの身体の感覚が根本的に違うので、力の入れ方でさえもが全く解らないのである。まるで、生まれたての赤ん坊のように何もかもがわからないような・・・、そんな感覚に包まれる。
『グ・・・・、グゥ・・・・・。』
ようやく目が開けるようになって、視界が徐々に鮮明になっていく。何も無い無機質な内装の部屋がぼやけながらゆっくりと見え始める。そうして動かしにくい身体で自分の身体を見るために身体を寝かした状態で屈みながらゆっくりと見つめた。
“・・・・・・!!”
驚いて声すら出なかった。何故なら、身体がトカゲのような細かい鱗に包まれた身体になっていたのだから。
「・・・・? おお・・・、‘竜’が起きたぞ・・・!!」
一人の研究員らしき『人』が回りに向かって言った。
『僕ガ・・・・、‘リュウ’、ダッテ・・・・?!』
声を出そうにも声帯が変わってしまってうまく声が出せずに喉の嗄れた、絞るような声で方言のようにしか出せなかった。
「おお!若干の知能もあるぞ!!凄い・・・・、これで二度目の大成功だ!!!そうだ、そうだぞ!お前は‘竜’に生まれ変わったんだ!!我々の研究でな・・・・!!」
なんという身勝手な奴らなんだろうと、僕は激しい怒りを覚えた。そしてその瞬間、その言葉を聞いて頭の中は真っ白になった。
『グゥ・・・・、グァァアアアア!!!』
「っな・・・!!何をするんだ!!!うわっ・・・!うわぁあああ!!!」
・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
僕が気がついたときには全身血塗れの僕の身体と、辺り一面が血とバラバラの肉片のみが転がっているだけの部屋になっていた。
床一面に広がる血の水溜りに視線を逸らす。すると変わりきった僕の姿がぼんやりと映し出された。
『フー、フー、グゥ・・・・・。』
そして辺りが静けさに包まれ、何もかもが終わったときに僕は痛感した。
“・・・・・・・・・僕は・・、化け物になってしまったんだ・・・・・・・・。”
それから僕はあの無機質な部屋に鎖で繋がれていたのであった・・・・・・。
「どう・・、思い出した・・・・。」
彼女の問いかけにうなずいて答える。
「実は時間が無いの・・、たぶん其処まで追っ手が来てるわ・・・。私と一緒に逃げて生き延びるか、ここで奴らに『操り人形』にされて、死んでいくのか・・・。貴方はもう決まっているでしょ・・・・・?」
彼女は落ち着いた口調で言うと、まっすぐ見つめてきた。
『決マッテルジャナイカ・・・、一緒ニ行コウ・・・・!』
僕もうなずきながら彼女の瞳を見つめ、逃げ出すことを決意した。
「解った。ちょっと待ってて・・、引き千切るから・・・。」
そういうと彼女は意図も簡単に引き千切ってしまった。
「じゃあ、行きますか・・・。その前に・・・、私が貴方と同じだって証拠、見せてあげる。」
そういうとそいつは一旦瞳を閉じると激しく息をし始め、同調するように体が変わっていく。
人のままであった体は徐々にひび割れていき、まるで脱皮していくようであった。
割れている皮膚の隙間からは鱗質の皮膚が見え隠れし、尻や、背中からは太い尻尾と大きな翼が突き破るように出ている。そして、‘人’の皮を自ら引きちぎるとそいつは僕と変わらない“竜”の体に変わったのであった。
「さあ・・・、行きましょう・・・!!」
合図と共に部屋から飛び出し、目の前の強化ガラスを強行突破した。そして背の翼で力強く夜空を飛んでいく・・・・。
“・・・・・・数ヶ月ぶりの外の世界・・・・。なんて・・・・、気持ちがいいんだろう・・・・。“
僕は空を飛びながら自然と瞳から涙を流した。それまで貯めていたあらゆる感情があふれ出し、今までの荒々しい感情を洗い流していくように・・・・。
そうして、僕は彼女と共に竜という新しい身体で人里はなれた深い森で新たな生活を始めたのであった。